被災者支える、地域で唯一の呼吸器内科医 福島・南相馬市
相双地区には震災前から常勤の呼吸器内科医がおらず、それまで肺がんなど呼吸器系のがん患者は宮城県の病院まで通わなければならなかった。神戸さんの赴任で南相馬市での受診や治療が可能になり、神戸さんはこの約3年間、相双地区のがん患者を多く診察した。その中の数人は、震災直前にがんが発覚していたが、震災と原発事故の発生で避難生活を余儀なくされて「その忙しさからがん患者だということを忘れていた」。体調が悪化して病院を訪れたころにはがんが進行しており、末期がんで亡くなったという。「震災がなかったら適切な医療が受けられ、こんな結果にはならなかったのではないか」と思うと、やり切れない気持ちになった。 末期がん患者の多くは、「最期を家で迎えたいと願う」という。しかし放射能汚染で帰ることができない地域では、その願いすら叶わないまま亡くなる患者もいた。南相馬市小高区の60代男性は2012年秋に末期がんが発覚し、重要な治療を終えた後、震災後に住むことが禁じられていた家で最期の数カ月を過ごした。「人生、やり尽くした。つらくないように、最期は自然にさせてくれ」と話したことが、印象に残っている。 南相馬市立総合病院では内科の診察も担当し、専門の呼吸器内科ではがん治療の苦痛を和らげる緩和ケアにも力を入れる。昨年から再開された小高区の小高病院の病院管理者も務め、外来診察にもあたる。地域医療にとって欠かせない専門医の一人になった。 「ここは医者が本当に必要とされている地域。毎日やりがいを持って仕事をしています」。原発に一番近い病院とも呼ばれる病院で、これからも地域医療を支え続ける覚悟だ。 (安藤歩美/THE EAST TIMES)