歴史に名を残した5つの精鋭部隊、どんな装備で戦った? レギオンからコンキスタドールまで
モンゴルの弓騎兵
勇猛さで名高いモンゴルの弓騎兵は、モンゴル帝国の軍事的な成功に決定的な役割を果たした。モンゴル帝国は現在のモンゴル国に建国され、13~14世紀には中国、中央アジア、中東、東欧の一部を征服して広大な領土を確立した。中国の年代記作家は「モンゴルの人々は生まれながらにして乗馬と弓術に長けている。彼らは弓矢と馬という強みを武器にして、世界をその手中に収めた」と書いている。 実際に、チンギス・ハーンとその後継者たちを含むモンゴルの戦士たちは、幼い頃から乗馬の訓練を受けた。彼らの馬は小型だが強くて足が速く、大草原を駆け巡るべく育てられた。 弓騎兵は通常、複数の馬を連れており、乗っている馬が疲れると元気な馬に乗り換えて電光石火の攻撃を続けた。こうした能力が広大な土地の征服につながった。 男女とも幼い頃から馬に乗って競い合い、あぶみに足が届くようになるとすぐに、動物の角と腱、木材で作られたモンゴルの反曲弓の使い方を学ぶ。モンゴルの弓騎兵はあぶみに立ったままで前進し、後方に弓を放つこともできた。その矢は320メートル以上も飛び、近距離ならば敵の鎧(よろい)も貫通したという。 戦士たちが戦地に向かうと、優れた女性の弓騎兵が部族を守った。時には、男性の弓騎兵とともに前線で戦うこともあった。 しかし、時代が変化するにつれて弓術の戦いは次第に時代遅れとなり、強大だったモンゴル帝国は後継のさまざまな国家に分割され、その支配力は衰えていった。
スペインのコンキスタドール
コンキスタドールという名称は「征服する」を意味するスペイン語のconquistarに由来する。彼らは文字通り米大陸を征服した。 16世紀には、スペインとポルトガルの領土や影響力を拡大するため、ベテランの軍事指導者や探検家、冒険家たちが兵士を率いて新世界に渡って支配した。エルナン・コルテス、フランシスコ・ピサロ、フアン・ポンセ・デ・レオンらがよく知られている。コンキスタドールは富を求め、キリスト教を布教し、銃や持ちこんだ伝染病によって数々の先住民文化を壊滅させた。 彼らは、ヨーロッパの伝統的な武器と防具を装備していた。カノン砲と携帯できる銃は必須だった。また、兵士たちは「アーキバス」という銃身が長い火縄銃(マッチロック式)も携行していた。1400年代に発明されたこの銃は、現代の基準からみると発射まで時間がかかり、扱いにくい武器だった。 だが、数十年後には、従来の火縄銃に代わって別種の火縄銃やフリントロック式銃が使用されるようになった。コンキスタドールの防具としては胸当て、兜、盾があったが、すべてのコンキスタドールにこうした防具を入手できる経済的な余裕があったわけではない。 偉大な母国の勢いが衰えると、コンキスタドールの時代も幕を閉じた。