「『復興』という言葉。何を指すのだろう?」 佐藤浩市さん、3.11原発事故描いた映画主演
東日本大震災に伴って起きた東京電力福島第1原子力発電所の事故。「あのとき」、被害を抑えるために現場に残った東電社員らは海外メディアから“Fukushima 50(フクシマフィフティ)”と呼ばれた。事故から9年。彼らの過ごした壮絶な5日間を中心に描いた同名の映画が撮影された。作品内で、幹部作業員役として主演した佐藤浩市さんと、若松節朗(せつろう)監督に、この映画に込めた想いや復興について話を聞いた。
Q:デリケートな話題がテーマの映画です。撮影する中で苦労したり、気を遣ったりした点はどこでしょうか?
【若松】 この映画(の撮影)は寒い時期でなくてはいけませんでした。電気がすべて断たれた中で寒さに耐えながら、作業員たちは上りつめる放射線量と壮絶な闘いをします。嘘があってはいけない、との思いからリアリティを追求しました。
Q:撮影前に福島に足を運んだと聞きました。
【若松】 福島の第1発電所は1回しか行っていないです。あとは、福島第1発電所とよく似ている発電所が静岡にありますので、そこには2、3回行かせてもらいました。リアリズムを徹底的に追求するっていうのが僕らの使命だったんです。
Q:佐藤さんはいかがでしょうか?
【佐藤】 正直言って、あまりに知らなすぎたっていうことですよね。これは国民性なのかな。あんなことがあったのに、知らなくてもそれほど生活に支障がない。それは(今いるのが)福島ではないからかもしれないけど。結局、あの後どうなっているのか。「廃炉に向けて進めています」っていうニュースや、「調査用ロボットが(原子炉建屋の)中に入っていきました」っていう断片的な情報はあるけれども、じゃあ現実にどこまでどうなっているのか、現実に何があったのかって、あまり知られていないじゃないですか。
あまりに知らないことが多すぎた自分たちがどうそれを現実として受け止めていくか。知らないなりに初めて発電所に行かせていただいて、入りたいところまで入らせていただいた。炉心近くまで行きました。出るときには線量を測るという初めての経験をしました。その程度で何だ、ってことなんだけど、一から知るっていうことが大事だと思いました。 現実問題、僕らは結果から入っています。「結果としてなんとか最悪の事態は未然に防げた」と。しかし、現実的に(原発に)残っていた人たちにしてみれば、どういうリアルをもってその場に居続けたのだろうかと考えたって、そのリアルさは完全に表現できるかというとそうはいかない。でも、なんとかお客さんたちや観る側に対して少しだけでも伝えないといけないので、「そこにいた人たちの現実」を伝えること、それを第一にして腐心したんじゃないかと思います。 【若松】 まだ帰還困難者がいっぱいいるんですよね。だから、簡単に9年経ちましたって言っても、浩市さんは、「(復興の現状は)まだこんなものなの」、「これから始まるんじゃないの?」という考えを持っていました。それを僕らは映画にしたということがどんな意味を持つかっていうことですよね。お客さんが何を観てくれるか。我々は役者もスタッフも嘘のないことを、「現実はこうでした」ってことを、役者さんを通して、芝居で観せていくんです。