「僕の名はユウゾウ」偽名を名乗るデーブを「怪しい人」だと思った京子スペクター デートの誘いを10回も断り続けるも結婚に至った理由を今語る
■結婚後は「多忙な夫を手伝いたい」とアシスタント業務もこなす ── 1981年に結婚されて以降、生活はどのように変わりましたか?
京子さん:結婚を機に、夫の仕事のお手伝いをするようになりました。当時、夫はアメリカの三大ネットワーク「ABCテレビ」のエグゼクティブプロデューサーとして働いていました。テレビ制作は情報収集や下調べが欠かせません。特にアメリカの番組は、訴訟に発展することもあり、誤った発言や情報の発信にとても厳しいのです。夫はもともと勉強熱心な性格から、寝る時間を割いてでも徹底的に下調べを行っており、「少しでも手伝うことができれば」という思いで、リサーチを手伝うようになりました。
── 結婚して2年後の1983年には来日し、日本で働くようになったそうですが、きっかけについて教えてください。 京子さん:ABCテレビのロケで来日したのがきっかけでした。ゴールデンタイムの番組制作で、予算も十分にあったので、制作チームを引き連れて東京を拠点にアジア各国への取材を行っていました。取材が終わり、アメリカに帰国する予定だったのですが、日本語に詳しい夫に「日本の番組をチェックして、アメリカの番組で使えそうな映像を買いつけてきてほしい」というオーダーが入りました。
そこで、夫はABCと提携していたNHKに何日も入り浸り、各番組をチェック。その後も、アメリカ人に受けそうなものを録画して、アメリカへ送る仕事をするようになったんです。その後、しばらくは日本とアメリカを往復する生活が続きましたが、日本のテレビ番組への出演や講演の依頼も増え、徐々に日本で活動する時間が増えていきました。 PROFILE 京子スペクターさん (株)スペクター・コミュニケーションズ代表取締役。千葉県千葉市出身。高校卒業後、ハワイとアメリカに留学し、語学を学ぶ。1977年よりロサンゼルスのホテルニューオータニに勤務。コンシェルジュとして働くなかで、デーブ・スペクターと出会う。結婚後、日本に帰国し(株)スペクター・コミュニケーションズを設立。テレビの企画やプロデュースを手掛けるほか、アメリカでの生活を生かして、ライフスタイルコーディネーターとしても活躍する。現在アルバニア共和国名誉領事を務める。2023年より始めたInstagramが(@kyoko_spector)が好評。
取材・文/佐藤有香 画像提供/京子スペクター
佐藤有香