国民の信頼回復に向けた政治改革は進むか
派閥解消も掛け声倒れに終わった
大綱では、「派閥の弊害除去と解消への決意」という項目が設けられていた。派閥については、「派閥と政治資金のかかわりや派閥の内閣、国会および党の全般にわたる人事への介在、派閥本位の選挙応援など、さまざまな弊害を生んでいる」と結論づけたのである。 そのうえで、(イ)最高顧問は派閥を離脱する、(口)総裁、副総裁、幹事長、総務会長、政務調査会長、参議院議員会長、閣僚は、在任中派閥を離脱する、(ハ)派閥の実務者間によって、実質的にあたかも党機関にかわる意思決定と誤解されるようなことは行わない、との具体的な改革案が示されていた。 しかしこれらは実現していない。岸田首相は岸田派(宏池会)に留まり続け、離脱したのはパーティ事件が浮上した昨年12月になってからだ。また、麻生太郎副総裁、茂木敏充幹事長、森山裕総務会長はそれぞれ派閥会長を務めている。 自ら「派閥の弊害除去と解消への決意」を示した自民党が、派閥の抜本的な見直しに動くことはなく、現時点でも派閥の利点を説く向きも多い。
政治改革大綱の検証は必要
「政治とカネ」の問題の構図は、自民党が政治改革大綱をまとめた時からほぼ変わっていない。大綱で指摘された論点は、決して古くなっていないのである。この点から、政治改革大綱の内容を再度検証し、必要に応じて新たに書き換える作業が必要なのではないか。それなくして、包括的、抜本的な政治改革は実現しないように思われる。 また、ここまで踏み込んだ内容を示していた自民党の政治改革大綱が、選挙制度改革を除けば多くは実現されなかった理由も、検証してみる必要があるだろう。 当時は、自民党への政治不信から社会党が急速に党勢を高めており、政権交代への強い危機感が、自民党が政治改革大綱をまとめる原動力になった可能性が考えられる。土井たか子党首のもとでの、いわゆる「土井ブーム」である。1993年には細川内閣が発足し、1955年の結党以来、38年間単独政権を維持し続けた自民党は初めて下野することになった(55年体制の崩壊)。 現在の野党の影響力を踏まえると、自民党が当時ほど政権交代への強い危機感を持つことはなく、それが、党内で政治改革への機運が高まらない背景にあるのではないか。しかし、自民党が政治改革を先送りすれば、国民の間で政治不信は一層高まり、最終的には政権交代へとつながる可能性も考えられない訳ではない。自民党はそうした強い危機感を自ら醸成し、政治改革に積極的に取り組むことが求められる。