守護神に心無い「金出すから行ってくれ」 トレード通告に激怒…許せなかった中日フロント
1986年12月23日、牛島和彦氏はロッテへのトレードを通告された
元中日投手の牛島和彦氏(野球評論家)の野球人生で、最大の衝撃はやはり1986年12月23日に通告されたロッテへのトレードだろう。その年の10月に、もっとも慕っていた先輩・星野仙一氏が中日監督に就任。主力投手として気合を入れ直していたところでの“まさか”だった。一時はトレードを拒否しての引退も口にしたほどだったが、そう言ったのにも理由があったという。そこから気持ちを切り替えての移籍了承。まさに激動だった。 【実際の写真】トレード通告に激怒…星野監督の家で話し合う牛島氏 「あの日は御殿場で12球団のゴルフがあって(中日外野手の)大島(康徳)さんを乗せて車で帰って名古屋で降ろして、僕はそこから(オーバーホールで)下呂温泉に向かい、着いたら球団から電話がかかってきて『名古屋に帰って来い』って『何の要件ですか』と聞いたら『それは言えない』みたいな。御殿場から名古屋、名古屋から下呂、下呂から名古屋ってどれだけ車運転させるねんっていうのはあったんですけど、まぁまぁ薄々はわかりますよね」 1986年のオフは、稲尾和久監督を解任したロッテ球団への不満をぶちまけた落合博満内野手のトレード騒動が連日、マスコミを賑わせた。トレード先は巨人で決まりというムードさえ漂っていたなか、中日・星野監督が「巨人に獲られてはいけない」と言い出した。11月の浜松秋季キャンプ時には「このオフのトレード補強は考えていない」と公言していた闘将を“心変わり”させるほどの事態だった。 そんな星野中日の動きが報じられたのは12月20日。交換要員として小松辰雄投手や牛島氏の名前も出てはいたが、さすがに看板選手は出さないだろうとの見方が大半でもあった。牛島氏もその報道は知っており、12月23日の御殿場からの帰りの車中で「大島さんに『トレードになったら、どうします?』って聞いたら『25歳だったら俺は行くかなぁ』って。その時の僕は25歳だったんでね」。もっとも、それも、たまたまそういう話になったにすぎなかった。 それだけに“名古屋に戻って来い”コールはまさかだった。指定された名古屋観光ホテルに着くと、ロッテへのトレードを通告された。「その時の僕の気持ちとしたら、1年目からずっとやってきていたじゃないですか。変な話、無駄飯食ってませんよね。で、俺なのって思いがありました。肘が痛くて、薬飲んで、サポーター巻いて、優勝もしてとか、いろいろやってきたのにトレードなのっていうのがありました。それはどうしても引っかかりました」。