「マイナス20度」で朝食を作ったら“予想外の大ピンチ”に…「南極料理人」が明かす「極限体験」365日
ペンギンの営巣調査
そうした過酷な体験ではあったが、それがむしろ中川さんの気分を高揚させた。 「南極にいるんだということを実感して興奮しました。昭和基地の中にいると南極を感じませんから。空調は整っているし、日本で買った食材を持ち込んで、それを調理して、日本人に料理を出す毎日ですから。調理は拘束時間が長い仕事ですから余計そうかも知れません」 その後、季節は巡り、12月ぐらいから太陽が沈まない白夜の時期となる。1月下旬までの約40日間、明るいままなのだ。 その時期におこなわれたのが、ペンギンの営巣調査だった。 「ペンギンの個体調査は11月15日の前後3日、12月1日の前後3日におこないました。その時期、ペンギンが子育てをする場所に毎年、個体調査に5~6人で行って何羽いるかを数えにいきました。にしても閉口したのがペンギンの臭さ。魚介類のような生臭さが半端ではなかったです」
慌ただしい別れ
南半球にある南極は、北半球の日本とは季節が逆だ。12月~1月は夏で、気温はプラスに転じることもある。 「そうなると“今日は暑いね”とかみんな言い出します。ちなみに滞在中の最高気温は4・3℃でした」 そうした暖かい時期に、次の観測隊が「しらせ」でやってくる。2023年12月20日のことだ。 第65次隊を乗せた「しらせ」が再びやって来た。昭和基地の中は再び賑わい、そして慌ただしくなった。 翌2024年2月1日、一年ぶりの越冬隊交代式がおこなわれ、中川さんたちは第65次隊の調理担当に厨房を引き継いだ。そして2月10日、第64次越冬隊28人は、「しらせ」にヘリコプターで乗り込んだ。「しらせ」はオーストラリアへ向かった。 その前に昭和基地を離れるにあたって、中川さんは「店じまい」をした。 「最終日の2日前に隊員全員にコース料理を作りました。最終日には、1年間使ってきた鍋やフライパン、コンロなどの調理具をすべて磨き上げて引き上げました。次の隊に厨房を譲る前の大掃除です。2月1日、いざ厨房を譲るというときには、もう来ちゃったっていう気持ちと、やっと来たなっていう気持ちがこんがらがって、複雑な気持ちになりました。やりきったという達成感は最後あったかな。寝坊をせず最後までちゃんと時間通りに人に迷惑かけなかった。そんな自分を自分で褒めたいなと思いました」 中川さんたち越冬隊の面々は、「しらせ」に乗ったまま、帰国の途についた。オーストラリアのフリーマントルについたのは2024年3月18日のことだった。行きはコロナ禍のため、日本から南極まで「しらせ」で移動したが、1年の間に感染流行が収まり、帰りはオーストラリアから飛行機での帰国となった。日本に戻ったときは3月20日になっていた。