プロレスファン以外こそ観るべき 『アイアンクロー』は価値観の呪縛を解き放つ
本格的なプロレスリングシーン
とはいえ、プロレスの凄みはスクリーンから観客に迫ってくる。往年のレスラー、ハリー・レイス、ブルーザー・ブロディなどの再現度をもさることながら、エリック兄弟を演じた役者陣の肉体改造に驚かされる。主演のザック・エフロンは、現役時代のケビンよりもマッチョじゃないかと思うほど体を作り込んでいる。 加えて試合運びだ。原稿を書くにあたって、当時の映像を確認したが、本物よりエキサイティングなファイトに感じた。もちろん映画的な魅せ方もあるが、リング上での攻防はとてもワクワクした。 監督を務めたショーン・ダーキンは自らを「プロレス狂」と評し、幼少期から裸足のケビンの大ファンだったと言う。その思いに嘘偽りないこと、並々ならぬ思いが溢れていることは、スクリーンを観れば明らかだ。 劇中でも繰り広げられる、ダラス・スポータトリアムで行われたザ・ファビュラス・フリーバーズVSエリック兄弟(ケヴィン、デビッド、ケリー)のシックスメンマッチをはじめとした、試合映像が「プロレス最強列伝 プロレスの名門エリック一家 壮絶な大死闘!」(Prime Video)で再確認できるので、気になる方は見比べてほしい。 ケビンの高い跳躍からのドロップキック、デヴィットのアイアンクローといった得意技、ステップの刻み方など、プロレスの所作がそっくりで、よく研究されているのがわかる。 それもそのはず、元レスラーのチャボ・ゲレロ・ジュニアが、コーチ兼ファイトコーディネーターとクレジットされており、メインの俳優たちは、みんな彼から指導を受けているそうだ。
マッチョイズムの呪い
エリック兄弟の父親、フリッツ・フォン・エリック(本名ジャック・アドキッセン)は、1931年ドイツ・ベルリン生まれのユダヤ系移民という設定で活躍したプロレスラー。背中に鉤十字を纏い、アイアンクローという右腕一本で富を稼ぎトップに立った、アメリカンドリームの体現者でもある。 彼は、1966年12月3日、インターナショナル・ヘビー級選手権でジャイアント馬場と対戦。血の乱打戦を繰り広げ、徹夜組を含め1万4000人の大観衆が押し寄せ、日本武道館初のプロレス興行を超満員にし、大成功させたスーパーヒールだ。 日本で活躍した後、ダラスで選手兼プロモーターとしWCCW(ワールドクラスチャンピョンシップレスリング)を旗揚げし、ファミリービジネスを始める。 このエリック兄弟の主戦場WCCWに登場し、ケビン、デビッド、ケリーの実践トレーナーとして、インサイドワーク、テクニックを教えた、ザ・グレート・カブキは、「エリックの親父は絶対的だった」と証言している。劇中でもあるとおり、息子たちは皆、親父の言うことには常に「イエッサー」と答えていたそうだ。語弊を恐れずに言えば、テレビのドキュメンタリー企画で見た亀田三兄弟と親の関係に似て見えた。 プロレス史上最大の悪役のひとりとして数えられる有名な父親は、自分が巻くことがなかったベビー級世界王者のベルト奪取、兄弟すべてを世界チャンピオンにすることを目標に掲げ、彼をレスラーとして厳しく育てる。 甘えることは許されず、困ったことは「兄弟で解決しろ」と言われ、兄弟の死に直面しても「涙を見せるな」と追悼試合の話を始める。兄弟は弱音を吐くことは許されない。鍛え上げられた肉体がマッチョであればあるほど、対比的に彼らの心の弱い部分が浮き彫りになる。 だからこそ、彼ら兄弟は一緒にいることを望んだ。年長であるケビンは優しい頼れる兄貴であろうとした、デヴィッドは父に一番の期待を寄せられながらも兄を気遣い、夢破れ里帰りしたケリーは兄弟に温かく迎えられレスラーとして再起する。そんな兄たちをマイクはとても慕っていた。彼らは、とても仲の良い兄弟だった。 しかし、いつの日か賑やかだった食卓が度重なる悲劇の果てに静まり返っていく。その原因は「~してはいけない」「~あるべき」という厳格な父の言葉に兄弟たちが縛られて心を潰されてしまったからだ。マッチョイズムに耐えられなかった「呪われた一家」の描き方は、ある種、アメリカという国の失敗を描いているようにも見えた。 エリック兄弟を演じたザック・エフロン、ジェレミー・アレン・ホワイト、ハリス・ディキンソン、スタンリー・シモンズ皆、肉体づくりだけでなく、この辺りの心の機微を表現する演技力が素晴らしい。くわえて、男臭い物語のなかでモーラ・ティアニーが演じた兄弟の母親ドリス、リリー・ジェームズが演じたケビンの恋人パムといった女性たちの目線が描かれている点も注目してほしい。