一度止めて手術した心臓になお爆弾抱える40歳障害者1級が起業…「会社の成長目指さない」のに年収爆上げの訳
「元バーテンダーながら、就職した大手IT企業でバリバリ働き、出世できた」。自らそう語る40歳男性に致死性の心臓病が見つかった。人生の崖っぷちに立たされた男性は大手術の後、起業を果たし、1年半。年収は「気の進まない仕事は引き受けない」にもかかわらず前職の2倍以上となった。そこまでアップした仕事と報酬の“からくり”とは? そして「より社会貢献度の高い仕事がしたい」と熱量高く語る理由とは――。 【写真】家族の料理は毎日作る。夢中になっているのは料理 小池克典さん(40)は、致死性の心臓病の手術を経て、障害者1級の手帳を持つ起業家だ。1年半前にそれまで勤めていた一部上場企業を退職、心臓の大手術を受けて社会復帰した後自ら立ち上げた「Squad」(スカッド)の代表となる。 Squadとは英語で“分隊”を意味し、同社はチームメンバー20人ほどで仕事を回していく、緩やかな会社だ。法人登記は伊豆半島の突端・静岡県下田市だが、オフィスはなく、メンバー全員が業務委託。オンライン上でコミュニケーションをとり、イベントなどで顔を合わせる程度だ。 最低限の法人の維持費としてメンバーは年間10万円を納める。仕事で得た収益は10%だけ会社にプールし、それを設備投資や社会貢献事業に使い、90%は仕事をしたスタッフで再分配。だから内部留保をしない、代表である小池さんにも役員報酬は発生しない、会社として成長を目指さない、気の進まない仕事は引き受けない、たとえ仕事がなくても、固定費はほとんど発生しないので会社は潰れない、など、“ないない尽くし”の一風変わった社風が特徴だ。 同社の最大の特徴は、自分たちたちがより自由に、自分らしく生きるにはどうしたらいいか? それを実現するには、先述の通り「成長を目指さない会社」で働くことだと行き着いた。そのためにはメンバーが仕事に対して得意である(適性がある)こと、やりたいと思っていること、報酬をきちんと得て社会に貢献することが前提であると考えた。 しかし、小池さんがこの一見風変わりなSquadに辿り着くまでは、“ザ・日本企業”の営業パーソンであり、そしてゼロイチの新規事業の事業責任者としてがむしゃらに突っ走ってきた。その軌跡を追ってみたい。 ■このままの心臓では、合併症で突然死するかもしれないとの宣告 小池さんは大学卒業後、バーテンダーをしていた。本人曰く「私は3流私大卒ですし、自分が一部上場企業に入って、事業責任者をやるなど、夢にも思っていませんでした」。 しかし縁あって、IT系の大企業に入社し、持ち前のガッツと頭の回転の速さ、巧みな弁舌を生かして、トップ営業パーソンに上り詰めた。その後、新規事業の責任者となり、子会社を創業して社長にも就任という、いわゆる叩き上げ。順風満帆のキャリアに見えたが、健康診断がきっかけで、致死性の心臓病が見つかった。 「心臓が肥大し、心雑音が聞こえるから、大きな病院で詳しい検査をしてもらったほうがいいと医師に言われたんです。精密検査をしたところ、大動脈弁閉鎖不全症と診断されました。心臓弁に支障があって心房に血が逆流している、このままほっておけば、心筋梗塞や脳出血などの合併症で死んでしまうと。寝耳に水とはこのことです。学生時代は野球をガンガンやってましたし、自覚症状はなし。ただ、ハードワークの上にタバコやお酒もガンガンやっていたので、知らず知らずのうちに心臓に負荷をかけていたのでしょう。2人の子供はまだ小さいし、今死んでしまったらどうしようと目の前が真っ暗になりました」 どうやら生まれた時から奇形の心臓の持ち主だということがわかったが、成長してから同様の診断を受ける人は少なくない。しかし、ほとんどが高齢で発覚するそうだ。 30代(当時)で見つかった小池さんは珍しいけれど、ラッキーだった。検査で見つからなければ、いつか突然死していたかもしれない。それぐらい危険な病気だった。 「でも、少しだけ前向きになれることもあったのです。手術をするとなると復帰までに約3カ月かかると言われ、今までがむしゃらに走り続けてきたので、これからの仕事や人生をゆっくり見つめ直す良い機会になると思ったのです」