一度止めて手術した心臓になお爆弾抱える40歳障害者1級が起業…「会社の成長目指さない」のに年収爆上げの訳
■明日死ぬとしたら、今の仕事は本当にやりたい仕事なのか? 小池さんが担当していた前職の新規事業の内容は、ワーケーションをサポートするサービスと、次世代の建築物を世の中に広めるというもの。自由で新しい暮らし方と働き方を応援するものなので、情熱を傾けて仕事に取り組んでいた。 営業時代とは違ったアプローチの業務であり、地方の面白い起業家とどんどん繋がったり、産学連絡を行ったり。責任者として苦労も多かったがやりがいもあった。新鮮だった。折しもコロナ禍で、リモートワークが進んだことで、事業は脚光を浴びる。 「新規事業によって自分は間違いなく成長できたし、そのことでは会社に深く感謝しています。しかし病を得て『明日死んだとしても、この仕事を続けたいか?』と内省したら、正直YESとは言い難くて。当然ながら、その事業は会社が取捨選択して、意思決定したもの。前提条件として計画があり、予算があり、戦略があり、体制があるので、私の意思が反映されることはありません」と振り返る。 それらの前提条件の先に、(半ば無理やり)「自分のやりたいこと」を意味づけし、成果を出してきた。会社員としてしごく当たり前のことだろう。しかし命の限りを感じたときに、その“当たり前”を受けいれることができなくなった。 ■大病の前には、組織の論理を受け流すことができなくなった 健康な体だったならば、このような当たり前=組織の論理を、会社員の宿命として受け流すこともできただろう。 しかし、心臓を一時期に止めて心臓弁を交換する大手術が待ち構えている。もしかしたら無事に生還できないかもしれない。しかし、無事に手術が成功したら、明日死んだとしてもやりたい仕事をやろうと、手術の前に会社を辞める決断をする。 「手術後長い療養が必要という見立ててでしたが、手術は大成功し短期間で回復しました。運よく名医といわれる外科医の先生に執刀してもらえたし、莫大な手術費用がかかったけれど、高額療養制度でお金はあまりかからなかった。私は日本の医療の恩恵にあずかって、命を助けてもらったんです」 検査技術の進歩で重篤な病が早めに発見できた。さらに心臓弁は機械弁か、動物由来の生体弁に交換できるが、小池さんは生体弁を選ぶことができた。生体弁であれば、血栓ができにくく、健常者と変わらない日常生活が送ることができるというメリットがある。 しかし完治はしない。心臓弁はいつかまた交換しないといけないし、いつ何時心臓が止まるかわからない。そういう背景があって小池さんは障害者1級の手帳を持つことになった。 「最新の手術方式や生体弁など、未知の領域に果敢にトライする人々の努力や奮闘があったからこそ、今自分は生きている。じゃあ、この命を今後何に使うかを考えました。ゼロイチで新しい世界を切り拓いていくスタートアップを応援して、受けた恩を未来に返していこう。自分が“善い”と思えることのためだけに、仕事の時間を使いたいと決心しました」