『おしん』ノベライズ本がベストセラーに、J-POPがヒットチャートに登場…「憎くても学ぶべきことは学ぶべきだ」から、韓国が日本を見る目はどう変わったのか
一方、韓国社会は、隣国日本の成功神話をまったく違うふうに受け止めていた。朝鮮戦争の苦難から立ち上がり先進国への跳躍を夢見ていた韓国にとって、わずか数十年のあいだに敗戦国から経済大国へと変貌した日本の事例は良い刺激となった。異質な欧米式の資本主義よりも、文化的に似ている日本の成功事例のほうが手本にもしやすかった。韓日国交正常化(1965)を経ても植民地時代の傷による情緒的な反感は依然として存在していたが、「日本が憎くても学ぶべきことは学ぶべき」との認識が根づいたのはそのころだったと言えるだろう。
日本文化を「参考書」とする
1990年代、韓国の大衆文化の業界では、日本の最新トレンドをこっそり真似ることが公然の秘密となっていた。放送業界では日本のテレビ番組の内容を少々「拝借」し、アパレル業界では東京のファッションの中心地、渋谷でひそかに動向を調査した。日本の歌謡曲をあからさまに剽窃した歌がヒットチャートに登場することもよくあった。当時は、テレビで日本のドラマや映画、歌などを放映することは禁じられており、海外旅行の機会もそうなかったため〔海外旅行が全面的に自由化されたのは1989年〕、人々は日本のものが盗用されているという事実すら知らなかった。日本の大衆文化を締め出していたことが、逆説的に「パクリ」行為をあおる形となったのだ。 文化的事大主義との批判を招きそうだが、当時、日本の大衆文化産業が急速に成長していたという事実も無視することはできない。今はK-POPが世界的に注目を集めているが、そのころはJ-POPが「ホット」だった。扇情的、商業的だとの批判もあったが、日本の音楽やテレビ番組、漫画、アニメなどは、その洗練された娯楽性や幅広い多様性で、アジアで広く愛されていた。 1980年代から韓国の若者たちのあいだで日本の漫画本やファッション雑誌の海賊版が大人気だったという事実はよく知られている。実はそれよりずっと前から、日本の文化商品はヒットの兆しを見せていた。1970年代には日本の大河小説が翻訳、出版され、人気を博した。 歴史小説に登場した“日本史の風雲児”徳川家康がいきなり脚光を浴びたり、日本のテレビドラマ「おしん」のノベライズ本が翻訳されてベストセラーになったりもした。 当時も、日本の「低級な」消費文化は若者の精神をむしばむと懸念する声はあったが、実は、日本の文化に先に好感を示したのは、若者ではなく中高年層だった。日本の大衆文化が段階的に開放されはじめる1998年以前は、日本文化は、韓国の大衆文化業界が机の引き出しに隠しておき、こっそり開いて見る「参考書」のような存在だった。
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