意外と多い、高給取りエリートでも「人生失敗」する人に共通する「シンプルな原因」
わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。 【写真】人生で「成功する人」と「失敗する人」の大きな違い ※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。
ライ麦ばかりでつまらない:不明確な目的がもたらす「貧乏の罠」
どんな人でもお金、時間、知識、信頼の収支のバランスを崩すことで貧乏から抜け出せなくなってしまう危険がある。 たとえば「借金はどんな種類のものでも怖い」という思い込みから貸与奨学金を忌避するあまり、大学を休学しながら学費を稼ぎ、新卒就職において不利な立場に追いやられて生涯年収をふいにするといった失敗はよくみられる。 あるいはSNSとゲームとカメラくらいにしか使わない(それ以外の機能はそもそも使えない)のに「最新機種でないと恥ずかしい」という思い込みから、新作のハイスペックスマートフォンを毎回発売直後に買い、割賦金の支払いにいつも追われているという例もよくみる。 また、高給取りの頭脳労働者が「デキるビジネスパーソンとして家事・育児も自分でやらなければいけない」という思い込みから、睡眠時間を減らしてまでそれらに奔走している例もある。 こうした人は家事・育児の少なくとも一部を外注した方が仕事の生産性も上がり、外注費以上に稼ぐことができるのに、貧乏の罠にはまる。 これらのアンバランスの原因は「自分の行動の目的が明確化されていないこと」だ。 そもそも大学に行くのは何のためか、スマートフォンは何のために買うのか、自分は何をしたいのか。いつでもこれらを自問自答することで思い込みに起因する無駄遣いと優先順位付けの間違いから脱することができるだろう。 反対に、目的に対して現在の手段が適正かどうか点検しなければ過大な手段を用いてしまうことになる。右隣の家に行くために、左に、左に、と、自家用ジェットで進んでいって地球を一周してようやく隣家にたどり着くような状況を想像すればよい。「目的に対して過大すぎる手段」も貧乏をもたらすのである。 発展途上国には結婚式や洗礼式といった行事に収入の大半を使う風習がある地域が見られるという。こうした風習は、多くの場合、気晴らしや退屈しのぎという役割を持っている。また、毎日の食べ物の確保に困っている家庭であってもテレビやスマートフォンは一式揃っていたりする。食べ物に困っている人々に金銭的な援助をしても、栄養に乏しく高価な(でも美味しい)食材に変わるだけだという調査もある。 表面的には収入が多い人であっても、給料日にはストレス解消のためにパチンコに大金を使ったり、行きつけの居酒屋で豪遊したり、タバコを毎日何本も吸ったり、片思いの相手に貢いだりして生活が困窮しているということもある。 表面上さえ収入が多いわけではない私も、給料日には「食べるのか」という勢いでガツガツと欲しかった本を大量購入してしまう。家も車も時計も最新スマホも持っていないが本を買いすぎた月には困窮状態に陥る。 すなわち、人間は将来に備えて最低限の栄養で生きるより、多少のリスクを取っても楽しい生活を選ぶということだ。これは怠惰ではなく人間に共通する特性なのである。 もちろん中にはこうした支出を精神力で抑え込んでいる人もいる。 修行僧でも目指しているのであれば立派だ。しかし、そうでないならば日々の生活の中に楽しさを求めないというのは、物質的な貧困を避けるために精神的な貧困状態に陥っているだけである。 つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。
岩尾 俊兵(慶應義塾大学商学部准教授)