契約交渉でフロントに抱いた疑念…“消えた”昇給の約束 苦渋のFA行使「出ろってことですか」
星野伸之氏は1999年に11勝…オフにFA権を行使し、阪神へ移籍
オリックスの左腕エース・星野伸之投手(現野球評論家)は1999年オフに阪神へFA移籍した。同年は26登板で11勝7敗、防御率3.85で、先発ローテーションの柱として活躍。「シーズン中には、出ようなんて全く思っていなかった」と明かす。状況が変わったのは、オリックスとの契約交渉が思わぬ形で難航したことに加えて、誘ってくれた阪神・野村克也監督からの「ありがたい話」だった。 【写真】セ・リーグ元人気チアの美しすぎる開脚「可愛すぎ」「すごいです」 プロ16年目の1999年は星野氏の復活シーズンだった。前年の1998年は6勝10敗。2桁勝利が11年連続、規定投球回到達も12年連続でストップしたが、1年で盛り返した。11勝をマークして健在ぶりを見せつけた。7月終了時点では6勝6敗だったが、8月以降は5勝1敗と安定感も取り戻した。そして、この年がオリックス左腕としては最後になった。 9月25日の西武戦(グリーンスタジアム神戸)に1-0で9回サヨナラ勝ち。3安打完封で挙げた11勝目がオリックスでのラスト勝利で、7敗目を喫した10月11日のロッテ戦(GS神戸)がラスト登板となった。しかし、星野氏は「全然覚えていない」という。「結果的にそれがラストになっただけで、僕はその時(オリックスを)出ようとは思っていなかったですからね」。ブルーウェーブの一員としての単なる通過点であり、当然、翌年も続くと考えていたからだ。 それが契約交渉の行き違いから変わっていったという。「(成績が)悪かった年(1998年)のオフに給料をガッと下げられたんですが、その時に次の年(1999年)に10勝したら(ベースは)元に戻してからの給料、その前の年(1997年)の給料からになるという話があった。それが覆っちゃったんで、あれってなったところからね。全部フロントが代わっていて“それは知らない”とか“その時いなかったから”とかの話になって……」。 10勝したらベースを戻すとの約束は、星野氏にとって復活に向けての発奮材料にもなっていた。それだけに納得できなかった。「議事録みたいなのがあるでしょって話だったんですけど“まぁまぁ、それを言ってもしょうがない”みたいな感じで……。FAの資格を持っていたし『それは出ろってことですか』とも言いました。『いや、それは違う』と言われましたけどね。でも(年俸ベースの)話はずっと平行線。で、最後は出るしかないのかなって、ところでしたね」。