契約交渉でフロントに抱いた疑念…“消えた”昇給の約束 苦渋のFA行使「出ろってことですか」
決め手は野村監督の言葉…「ありがたい話をしていただいた」
その結果、FA権を行使。同じ関西球団の阪神から声がかかり、入団することになったが、決め手は阪神・野村克也監督の言葉だったという。「『俺は現役の時(南海、ロッテ、西武と)ずっとパ・リーグだったから、辞めて解説者になった時、セ・リーグの野球を知らなかったから苦労した。お前もどうせどこかで辞めて解説とかもやるだろうから、ずっとパ・リーグよりもセ・リーグを見ておいた方が絶対人生のためになる』と言われたんです」。 星野氏は「それで僕の気持ちはすごく変わった」とも明かす。「一緒に阪神で闘おうというよりも、僕の人生のことを考えての話をずっとしてくれた。すごくありがたい話をしていただいたのでね。阪神では(2000年から2002年までの3年間で計8勝13敗と)うまく勝てませんでしたけど、結果的には、あの時タイガースに入ってよかった。セ・リーグに行けたのは今となってもよかったと思っています」。 もちろん、オリックスを離れるのも寂しかった。その年のオリックス球団納会ではイチローから「出ないでほしい」と言われたそうだ。「他の若い選手からも言われたので、それはすごくうれしかった」と星野氏は言う。「その時、イチローに『ちょっとバットをくれないか』って頼んで、もらったんです。で、そのバットを(阪神で)使っていたら、野村監督に『そのバットは駄目だ、細すぎてバントとかできないだろ、変えろ』って」。 星野氏は「気持ちだけでもイチローになっていけるかなって思っていたんですけどね」と笑う。1983年ドラフト5位で旭川工から阪急に入団以来、親会社はオリックスに変わりながらもブレーブス、ブルーウェーブの主力投手として10代の若い時期から長年に渡って活躍してきただけに、愛着は誰よりもあったはずだ。背景にはいろいろあったとはいえ、そこからの旅立ちを振り返りながら「FAは結構、勇気入りましたけどね」としみじみと話した。
山口真司 / Shinji Yamaguchi