発熱も怪我も怖い…にしおかすみこ、認知症で糖尿病の母とダウン症の姉と薬の話
ある日
例えばある日、外から戻って来た母が玄関に突っ立っていた。抽象画のような、こちらがどうとでも取れる表情だ。ツツっと視線を下にズラしていくとストレッチ素材のパンツの膝が破れて、擦り傷が覗いている。 「え? 大丈夫? どこで? 庭? 今?」と聞くと、それについての返しはなく、 「え~? あらぁ、ズボンに穴があいちゃったねえ。でもこういう若者のファッションあるよねえ。もっとビリビリに裂いてあったりするもんね。ママも、これでいいよね。そういう服なんです、って顔して歩けば。流行りってそうやって作られていくもんでしょ。だからこれ脱がないし、捨てないよ」 どこぞのインフルエンサーだ。私に、着替えなよと言われないよう先回りし、予防線を張っていた。 他にも例えばある日、長パンツの裾をまくっている母がいた。あらわになった両膝の内側に500円玉くらいの青痣ができている。 私は「ええ? 何で? 痛いでしょ? 折ってないよね? いつ?」と聞く。 母が「そう言われても……はは~ん。ズボンに泥がついていないとこを見るとウチの中だね。青くなってるということは今日じゃない。時間が経ってる。昨日か、その前か。膝の内側を打ってるってことはバタンっと前にすっ転んではいない。多分、何かしらバランスを崩して、こう片膝ずつ床に打ちつけたんだね。こんな老人が?日常で?こんなしんどい姿勢になることある?」と、少し内股のスキーのボーゲンみたいな姿勢でこちらを見る。 よっ、迷探偵。
左顎が腫れて…
他にも、左顎を打っていたこともあった。もともと老いではっきりしないフェイスラインが赤く青く腫れ、更にぼやけている。 「ええ!?何で?いつ?どこで?ピンポイントで顎だけ??口ん中切った??病院行く?」 「フフフ、そんなに何で、何でって矢継ぎ早に聞かれてもわからないさ。整理できない。片っ端から忘れていくんだから仕方ない。ママ、すみに何を質問されているかもわからないよフフフ。これしきのことで病院なんて冗談じゃないバカフフフ。病院の処置なんて大概決まってるフフフ。絶対行かないからフフフ」涙目だ。……ごめん。フフフが楽しいだけのわけがなかった。無神経だった。……でも《病院》という言葉は聞き取り、行きたくないと主張はしている。母よ。自分が思うほどダメじゃない。 暫く母は、日常の中で顎と頬を包むようにそっと左手を添えて、太宰治みたいだった。