【卓球】ターニングポイント、そして「金メダル」への道──水谷隼が綴る挑戦の軌跡
中学2年での決断──ドイツ留学で芽生えた「覚悟」、そしてロンドン五輪後、ロシアリーグでさらなる挑戦
卓球界を牽引してきた水谷隼さん。五輪金メダリストという輝かしいキャリアの裏には、大きな2回のターニングポイントがありました。中学2年でのドイツ留学、2012年ロンドン五輪後のロシアリーグ挑戦──すべてが金メダル獲得への道を形作る「ピース」となったのです。 日本卓球界の名門校・青森山田中学への進学の誘いを断り、「一人で強豪を倒す」という信念を胸に、公立中学で奮闘を続けていた彼は、全日本コーチ・マリオ・アミズィッチ氏の誘いでドイツ留学を決断しました。中学2年生の秋。それが最初に迎えた転機(ターニングポイント)です。ドイツのデュッセルドルフでは厳しい環境に身を置き、卓球技術だけでなく、プロとしての「覚悟」を磨き上げていきました。 「多少の挫折では後戻りできない」という強い信念が、孤独な練習の日々を支えたと水谷さんは卓球王国PLUSで書いています。 次なる転機は2012年ロンドン五輪での悔しい敗北。メダルを逃したこと、さらに国内での居場所を見失ったことで、彼は「日本を離れる」という決意を固めました。ロシアの強豪クラブ「UMMC」への移籍を決断し、自らトレーニングや健康管理を行う孤独な環境で新たな挑戦を開始。 「ひとりで戦うことがカッコいい」という信念のもと、孤立した環境でさらなる強さを手に入れました。 ドイツでの技術と覚悟の習得、ロシアでの孤独な挑戦、そしてその後のTリーグでの活動。これらの経験が組み合わさり、水谷隼さんは東京五輪で卓球混合ダブルスの金メダルという栄光を手にしました。 「すべてをやり切ったからこそ、金メダルを手にした瞬間『当然だ』と思えた」と綴る水谷さん。卓球人生におけるすべての挑戦と出会いが、夢の実現を支えたのです。 (卓球王国PLUS「私のターニングポイント・水谷隼」(本人書き下ろし)より)