極右政党躍進の背景に、「西側による差別」への旧東ドイツ人の根深い怒り
給与や年金でも差別
私自身、ドイツに住んできた過去34年間に、「旧東ドイツ人は、旧西ドイツ人に差別されている」と思うことがあった。たとえば連邦労働局など、公的機関の統計では、旧東ドイツはしばしば「参入した地域(Beitrittsgebiet)」と呼ばれている。これは政府の役人たちが、東西ドイツが対等な国同士の統一ではなく、旧東ドイツがドイツに加わったと見なしていることを示す。多くの企業合併が対等合併ではないのと同じで、ドイツ統一も、東が西に吸収されたのだという考え方だ。オシュマン氏も著書の中でこの言葉を批判している。 旧東ドイツ人たちは、給料の面でも差をつけられてきた。1990年代に、ドイツ人の外交官から、「公務員の給料には、旧東ドイツ出身者向けの低い給与体系(オストタリフ)がある」と聞かされてびっくりした。この差別は2020年にも存在した。ドイツ公務員連盟(dbb)によると、2020年10月3日に旧東ドイツの都市で公務員たちが東西間の給与の差別の撤廃を求めて、デモを行った。 ドイツ連邦統計局によると、2021年の旧西ドイツの製造業・サービス業で働く人の平均年収は約5万6000ユーロ(896万円・1ユーロ=160円換算)だったが、旧東ドイツでは21.4%少ない約4万4000ユーロ(704万円)だった。また、旧西ドイツ市民が所有する、不動産など平均資産額も、旧東ドイツの約2倍だった。 統一後、旧東ドイツのお年寄りに支給された公的年金の支給額は、旧西ドイツよりも少なかった。支給額の差は、ドイツ統一から33年経った2023年7月まで解消されなかった。
西に対するアンチテーゼとしてAfDを支持
旧東ドイツの特異性の一つは、幹部がネオナチまがいの発言を繰り返す極右政党への支持率の高さだ。 政党支持率に関するウエブサイトDAWUMによると、今年3月の時点で旧西ドイツでは「ドイツのための選択肢(AfD)」への支持率は15.5%だったが、旧東ドイツでは26.5%と11ポイントも高かった。ザクセン州では32.6%、テューリンゲン州での支持率は30%、ブランデンブルク州では29.8%でいずれも首位である。これらの州では今年9月の州議会選挙で、初めてAfDの首相が誕生する可能性がある。 旧西ドイツ・アウグスブルクに住むある年金生活者は、「ドイツ統一後、旧東ドイツの若者たちも、ナチスが第二次世界大戦中に犯した犯罪について、学校での歴史の時間に学んでいるはずだ。それなのに、若者までAfDを支持するというのは理解できない」と語った。AfDの中には、ナチスの犯罪を矮小化する発言を行う者がいる。内務省の捜査機関・憲法擁護庁は、AfDのテューリンゲン州支部や、ブランデンブルク州のAfD青年部を「ナチスに近い思想を持つ、極右団体」と断定している。 しかもAfDの幹部の大半は、旧西ドイツ出身である。アリス・ヴァイデル共同党首、AfDテューリンゲン州支部のビョルン・ヘッケ支部長らは西側出身だ。それにもかかわらず、多くの旧東ドイツ市民がこの党を支持するのは、不可解である。 AfDへの支持率が特に旧東ドイツで高い理由について、現政権に対する不満だけではなく、過去30年間解消されなかった東西間の格差への怒りもあるという見方がある。実際、ある世論調査によるとAfD支持者の約60%はこの党の政策が優れているから支持しているわけではない。彼らは、旧西ドイツ人が主導権を握る伝統的な政党に対して抗議するために、多くの旧西ドイツ人が嫌うAfDをあえて支持している。確かにAfDは、ユーロ圏やEU(欧州連合)からの脱退など、経済的に合理性を欠く政策を提案しているが、彼らは現政権に反抗するために正反対の政策を主張しているのだ。 この点についてオシュマン氏は、旧東ドイツ人が社会主義時代に身につけた防御本能によって説明を試みている。つまり社会主義時代の東ドイツでは、市民は「国の支配体制(システム)」を敵と見なし、距離を置きながら生活することを学んだ。政府が社会の隅々に秘密警察の監視網を張り巡らせた社会では、体制と協力することは、腐敗すること、つまり体制に取り込まれることを意味したからだ。オシュマン氏は、「この姿勢は、今もなお旧東ドイツ人の心の中で生きている。したがって統一後の今日も、旧東ドイツ人の多くは旧西ドイツ人が牛耳っている政府やメディアを『体制』と見なして、距離を置きながら生きている」と指摘する。したがって旧東ドイツは、体制のアンチテーゼであるAfDを支持するというわけだ。 そう考えると、多くの旧東ドイツ人たちは、過去34年間にたまった怒りを表現するためにも、6月の欧州議会選挙、9月の三つの旧東ドイツの州での州議会選挙でAfDを勝たせようとする恐れがある。 オシュマン氏が提唱する東西間の対話だけでは、もはや解決できないほど溝が深まったと言うべきかもしれない。
ジャーナリスト 熊谷徹