水道橋博士が語る景山民夫の魅力を復活させる秘策とは 「迷惑ユーチューバーのような見方をされる(笑)」
「ボクの著作で言うと2001年に玉袋(筋太郎)と共著で書いた『お笑い男の星座』(文春文庫)なんかは〝ノンフィクションエンターテイメント〟と称していて、本当のことを書いているんだけど面白い方向に転がしながら、嘘でもいいから乗っけて、盛って盛って良しのルールで書くっていうのは、まさに景山さんの影響だと思いますね」 また、水道橋氏はそんな文章ばかりではなく、生きざまにも強い影響を受けたと話す。それを象徴するエピソードを教えてくれた。 「実は2012年に出版した『藝人春秋』(文藝春秋)で講談社エッセイ賞にノミネートされてたんですよ。景山さんやいこうせいこうさんも受賞したこの賞に憧れてたから。文春の担当編集者さんの言う通りに審査員の方々に発表の前にお手紙を書いてね。それで、審査員の一人だったある方から『水道橋さんの才能にうっとり。もう今回は水道橋さんに決めました!』ってうれしいお返事が来たんですよ。だから、期待して発表を待っていたら、審査員が5人いて3対2で負けたって。すごく落ち込んでね。後日、審査員だった坪内祐三さんに会った時に、『教えておいてやるよ!あの日、お前に入れなかったのは手紙をくれたその人だよ』って(笑)」 ■景山さんが幸福の科学騒動について懺悔する 前述した消防車のエッセーに影響を受け、こんなことも。 「自家用車に砲台を付けたことがあるんですよ。HONDAのCR-Xっていう車を中古で買ったときにルーフにスペイン戦争で使っていた木製の砲台を設置してね。その車で、(ナインティナインの)岡村隆史の自宅に行ったら、『戦車みたいなんで博士に襲撃された』って言われてて(笑)。ああいう日常でも真面目にふざける姿勢は景山さんの影響もありました」 人生を模倣するほど強い影響を受けていた水道橋氏だが、晩年に宗教家として活動していた景山をどのように見ていたのだろうか? 「殿の『お笑いウルトラクイズ』(日本テレビ / 1989年~96年)で、世間を騒がしたひとが禊をするコーナーが毎回あって、景山さんが幸福の科学騒動について懺悔するっていうので出演されたんですが、その時の待ち時間に色々とお話したんですよ。宗教の話も。ボクはオウム真理教を含めて当時の新宗教ブームにも興味を持っていたから東京ドームで開催された『大川隆法生誕祭』に行ったり、大川さんの一連の著作も読んでたので偏見みたいなものはなかったです。そのときに講談社へのFAX攻撃は『殿のフライデー事件のパロディですね?』って言ったら『わかってくれるのは博士だけだよ』って(笑)。でも、やっぱりお身体が不自由だったご家族のこともあって入信されたのかなとは思いますけどね」 今や、知る人ぞ知る存在となってしまった景山民夫。〝景山イズム〟の継承者の一人として、最後にその魅力を復活させる秘策(?)について語ってくれた。