水道橋博士が語る景山民夫の魅力を復活させる秘策とは 「迷惑ユーチューバーのような見方をされる(笑)」
舌鋒鋭いテレビコラムや、洒脱なエッセーの書き手であり、タレントとしても活躍した作家の故・景山民夫。今年、〝都会派エッセーの金字塔〟とも呼ばれるエッセー集『普通の生活』(朝日新聞出版)の出版から40年を記念し、景山民夫の影響を色濃く受けたという芸人の水道橋博士氏にその功績を語ってもらった。神のみぞ知る、景山民夫とはいったい──!? 【写真】放送作家、タレント、直木賞作家、宗教活動家とさまざまな顔をもっていた景山民夫さんはこちら 『クイズダービー』(TBS系列/1976年~92年)や『11PM』(日本テレビ系列/1965年~90年)といった名番組を手掛けた売れっ子放送作家であり、コラムやエッセー、小説の書き手としても一時代を築いた景山民夫。その輝かしい経歴の中で、あまり知られていないのが、今も活躍するクリエイターの逸材たちを世の中に紹介した先見性が挙げられる。 ■いとうせいこう、藤原ヒロシの才能を見抜いていた 2023年3月~11月にかけ配信されたポッドキャスト番組『だいじなケモノ道』では、出演者のいとうせいこうが、ピン芸人だったデビュー当時を振り返り、景山について次のように語っている。 「初めて著名な人たちの前で芸をするときに、景山さんもいて。その流れで、(景山さんが担当していた番組)タモリさんに『変なやつがいるんですよ』って言ってくれて、『タモリ倶楽部』に出るっていう。(中略)あと、景山さんのTBSのラジオ番組があったんですよね。そこに、藤原ヒロシのコーナーを作ったのは景山さんなんですよね。めちゃくちゃ早いよ。まだ、スクラッチの〝ス〟すらも、まだ誰もわかってないよ」(23年9月配信/「#22 日本カルチャーの台風の目だった" 放送作家・景山民夫」より) 景山の抜擢によりメディアに登場した藤原氏はその後、ヒップホップやクラブシーン、ファッションプロデューサーとしてそれぞれの業界を代表するクリエイターとなり、60歳の今もトップを走り続けている。 このようにジャンルを横断しながら若い才能を引き上げる役割のほか、〝オチがあるエッセー〟や生きざまそのものに強く影響されたと語るのが水道橋博士氏だ。