意外と分かっていない「自由民主主義」 ジョン・ロック『統治二論』を基に改めて考える、あるべき政治の仕組みとは
大企業の経営幹部たちが学び始め、ビジネスパーソンの間で注目が高まるリベラルアーツ(教養)。グローバル化やデジタル化が進み、変化のスピードと複雑性が増す世界で起こるさまざまな事柄に対処するために、歴史や哲学なども踏まえた本質的な判断がリーダーに必要とされている。 本連載では、『世界のエリートが学んでいる教養書 必読100冊を1冊にまとめてみた』(KADOKAWA)の著書があるマーケティング戦略コンサルタント、ビジネス書作家の永井孝尚氏が、西洋哲学からエンジニアリングまで幅広い分野の教養について、日々のビジネスと関連付けて解説する。 第9回は、イギリスの哲学者・政治思想家であるジョン・ロックが提唱した「自由民主主義」を取り上げる。10月には日本で衆議院選挙が、11月には米国で大統領選挙が行われた。こうした選挙を通じ、「自由民主主義とは何か?」と改めて考えてみたとき、共同体がどのように運営されているのか、あなたはその基本的な仕組みを説明できるだろうか? ■ 近代の自由民主主義は、どうやって生まれたのか? 今年2024年は選挙イヤーであった。主な選挙をピックアップするとこうなる。 1月 台湾で大統領選挙 6月 インドで総選挙 6月 欧州で欧州議会選挙 9月 日本で自民党の総裁選挙と立憲民主党の代表選挙 10月 日本で衆議院選挙 11月 米国で大統領選挙 選挙の結果次第で国家の方針は大きく変わる。こうした選挙は、自由民主主義の思想に基づいて行われている。一方でこんな人も少なくない。 「オレが一票投じたところで何も変わらないし、ヒマもないから選挙なんて行かない」
しかしその「オレの一票」で社会を変えるのが、民主主義なのだ。実際に日本でも、与党がふがいない時は民意を反映して政権が何回も変わっている。 直近では2024年10月の衆議院選挙でも、政治とカネの問題に抜本的対策を立てなかった与党に対し国民は厳しい審判を下して、与党が衆議院で持つ議席数は過半数割れになった。そして与党は今後の国会運営で野党と連携せざるを得なくなった。 また選挙では、あまりにひどい政治家は野党・与党を問わずに落選することも多い。こうして民意は政治に反映されている。 私たちは社会と関わって生きている。そして現代の民主主義国家は、自由民主主義の仕組みで動いている。現代の民主主義国家で生きるあらゆる人は、例外なく、自由民主主義の仕組みを知ることが必須なのだ。 では、あなたは「自由民主主義とは何か?」を説明できるだろうか? 「要は、自由ってことでしょ。私たちは何をやってもいいんだ」 「大事なことは、多数決で決めるってことだよね」 中には冒頭のように「自由民主主義だったら、選挙に行かないのも自由じゃないの?」なんて考える人もいるかもしれない。 だが、これらは正しくない。私たちは意外と「自由民主主義とは何か?」が分かっていないのである。自由民主主義の基本が分かれば、持続性がある組織をどのように作ればいいかが理解できる。 そこで今回から2回にわたって、この自由民主主義思想について考えてみよう。 ■ 民衆の命運は「国王の人格任せ」が常識だったが… 近代の自由民主主義はイギリスの哲学者・政治思想家であるジョン・ロックが提唱したルールに基づいている。そこで今回は『完訳 統治二論』(ジョン・ロック著、加藤節訳、岩波文庫)をテキストにして、その思想を見ていこう。 現代では選挙は当たり前だが、ほんの数世紀前は全く違った。 400年前の英国は国王が支配し、全て国王の一存だった。運良く立派な国王ならいいのだが、暴君だったりしたら最悪である。悪口を言った途端に牢屋にぶち込まれる。何も心当たりがないのに、いきなり自分や家族が捕まり、場合によっては死刑になる。 そんな暴君でも、選挙がないので国のトップに居座り続け、暴政で国民を苦しめていた。民衆の命運は「国王の人格」という運任せ。現代でも一部の専制国家にはこの統治スタイルが残っているが、当時の国家ではこれが常識だった。 英国は民主主義革命の真っ只中。この状況を何とか打開しようとしていた。そんな状況の中、1690年にロックが刊行したのが、著書『統治二論』だ。現在の民主主義の基本原理は本書に基づいており、政治学の世界では基本的な入門書である。 「イギリス経験論の祖」とも称されたロックは、「人間は生まれたときは白紙(タブラ・ラサ)。経験を通してさまざまな観念や知識を得ていく。人間は生まれついて白紙だから優劣なんてない」というタブラ・ラサを提唱した。ロックはこの思想を基に、民主主義の概念をつくっていった。 当時の英国では「国王は国のトップに君臨する権利を持つ」と考えられていた。その根拠は、政治思想家ロバート・フィルマーが著書『パトリアーカ』で提唱した王権神授説だ。 フィルマーは「旧約聖書によると、神はアダムに世界の全てを支配する権利を授けた。この権利が受け継がれて、王様が神から世界を支配する権利を授かった」と言った。この王権神授説が、国王が暴君であっても国家の統治を許される根拠となっていたのである。 ロックは、聖書の教えに忠実な英国におけるプロテスタントの一派・清教徒だった。聖書を知り尽くしていたロックは、本書『統治二論』の前編でフィルマーの王権神授説へ徹底的に反論した。ロックは聖書に基づいてフィルマーの主張をこと細かに検証した上で、こう言ったのである。 「フィルマーさん。聖書のどこにもそんなこと書いてませんよ。確かに神はアダムに全ての生物を支配する権利は与えました。でも他の人間を支配する権利なんて、何も与えていません」 こうしてフィルマーの王権神授説を徹底論破したロックは、本書の後編では、その代替案として民主主義社会を提唱したのである。