チャンピオンに”なり損ねた”中で最も速かったのはモントーヤ? レッドブル重鎮マルコ博士の思い出「彼は体力作りをまったくしなかった」
レッドブルのモータースポーツ・アドバイザーを務めるヘルムート・マルコは、これまでのF1の歴史上最も”もったいない”ドライバーは、ファン・パブロ・モントーヤだったのではないかと語った。 動き加速する2025年F1ドライバーラインアップをおさらい! 現在はレッドブルの育成プログラムを率いる立場にいるマルコ博士。しかしかつてはF1やル・マン24時間レースに参戦した経験を持つレーシングドライバーであり、1971年のル・マン24時間レースでは、マルティニ・レーシングのポルシェ917Kを駆り、総合優勝を果たしている。 ただその後マルコは目の怪我によりレーシングドライバーを引退。自身のレーシングチームであるRSMマルコを立ち上げ、国際F3000などに参戦した。ここではカール・ベンドリンガーやヨルグ・ミュラーなど、後に大活躍するドライバーを走らせた。その中のひとりが、ファン・パブロ・モントーヤである。 モントーヤはインディカー(CART)から鳴物入りでF1にやってきた印象があるが、その前には実は国際F3000など、ヨーロッパでキャリア初期を積み重ねてきたドライバーである。そんな中1997年には、マルコのチームであるRSMマルコのドライバーとして国際F3000に参戦。3勝を挙げるも、ランキング2位に終わっている。 モントーヤは当時のことについて、「マルコ博士に夕食に招待されたが、サラダしか食べさせてもらえず、しかも帰りは自分の家まで歩いて帰らされた」と明かしているが、実際にはどうだったのか? そう尋ねると、マルコ博士は次のように語った。 「モントーヤは非常に特別なケースだった。彼はグラーツにやってきた2日目に、どこのマクドナルドが一番美味しいか、それを教えてくれた」 「グラーツにマクドナルドが3軒もあるなんて、私は知らなかったんだ。彼は信じられないようなスピードを持っていたが、ドライビングミスと体力不足のせいでチャンピオンを逃した。ハンバーガー以外のモノは食べたがらなかったんだ」 「それで彼を夕食に招待した。そして、サラダだけを食べさせたんだ。彼は当時、経済的にとても苦しく、常に腹を空かせていた。そして、体力作りを全くしていなかった」 「だから私の家から彼の家まで、森の中を50分か1時間ほど歩かせた。そうしたら、次のレースではずっと良くなったんだよ」 マルコ博士曰く、モントーヤに意地悪してサラダしか食べさせなかったのではなく、しっかりとサポートしたかったのだと明かす。 「確かに彼らは若いし、時にはとても頑固だった。でも、彼らを救いたいと願うばかりなんだ。中でも彼は、特に頑固だった。最も難しいケースのひとつだったよ」 「それでもスピードに関しては信じられないほどのモノだった。ヘルシンキの市街地コースでは、1秒も、1.5秒も速く走ったんだ。彼はこのレースで、マシンにダメージを負い、レース中にサスペンションを交換した。しかし彼は歪んだマシンにまた乗り込み、ファステストラップを記録してしまったんだ」 マルコ博士は、F1チャンピオンになれなかったドライバーの中で、もっとも才能があったのはこのモントーヤだったと考えているようだ。 「ああ、それはモントーヤだ。間違いなくモントーヤだろうね」
田中 健一/Christian Nimmervoll