無謀かロマンか。かつて村田諒太に勝った38歳の佐藤幸治がプロからのアマ復帰第1号として東京五輪目指す
プロでは、大手の帝拳に所属。転向4年目に無敗のままドイツの地で世界挑戦のチャンスもつかんだ。2009年4月にWBA世界ミドル級王者のフェリックス・シュトルムに挑戦したが、7回TKO負け。その後、再起してOPBF東洋タイトルを奪取したが、2011年に淵上誠との東洋と日本ミドル級王座の統一戦に9回TKOで敗れ「日本人に敗れたら引退しようと考えていた」と潔く引退。その後、母校の日大の大学院でスポーツカメラマンを志そうとしたり、豪州へ語学留学をしたり、不動産会社に就職もしたが、そこも辞め、世界を旅する豪華客船の従業員など、職を転々……人生を迷走していた。 ようやく要人などをボディガードする職に落ち着き、ダライ・ラマやメッシなどの身辺警備も行ったが、引退して7年……止まっていたボクサーとしての時計の針を再び動かすことを決意した。 「アマですから五輪で金メダルを取っても大金を手にするわけではありません。ただ人生を変えたいんです。日本人に負けて引退して、あれが最後でよかったのか、という思いをずっと引きずってきました。ここから新しい人生が始まるんです。東京で、しかも、僕の中で特別な五輪があるんです。地元開催ならメダルを狙えます。こんなチャンスはないですよね?」 どこか中途半端だった人生に決着をつけたい。 先日のIOC理事会で東京五輪への参加資格も決まったが、1980年以降の生まれであれば出場できる。1980年12月生まれの佐藤にはギリギリ出場資格がある。 だが、もう38歳。4年前に知人の紹介で大学の応援部でチアリーディングをしていた知子さんと知り合って結婚。2人の間には可愛い長男も生まれた。支えなければならない家族がある。生活がある。現実を見れば“ロマン”だけで東京五輪を目指すなど無謀だ。 しかも、元々、大酒飲み。好き放題やってきて、体にまとわりついた贅肉をそぎ落とし、錆びついた肉体を再始動させることは容易ではない。佐藤も、仕事を両立させながらの中途半端な環境では、この途方もない挑戦が成功しないことはわかっていた。 佐藤は、この3月に、そのことを薄々感じていた妻に「仕事を辞めて東京五輪を目指したい」と打ち明けた。妻は、“仕方がないなあ”という顔をして黙っていたという。 「僕がやると言ったら引かない性格をわかっているので」 ただ、減量などで精神不安となり、そのイライラを息子に見せないことなど家族に迷惑をかけないことだけは釘を刺された。 警備会社の社長も理解を示してくれ、この間を退社でなく休職扱いにしてくれた。それでも東京五輪までの生活費や、練習にかかる経費などは足りない。5年前に自宅マンションを購入したが、現在、売りに出しているという。 「いろんな人に迷惑をかけている。だから負けるわけにはいかないんです」