SMAPと日本文化の30年
バーチャル・リアル並立時代
この30年は「インターネットの30年」でもあった。 初めのうちは、新しいフロンティアとして、資本主義にとっても、民主主義にとっても、その可能性が歓迎された。進行するに従って、その魔力が逆に引きこもりを生み、現実世界が希薄になり、あるいはテロや犯罪の温床にもなるといったことが指摘された。ビジネスでもネット交信が常識化し、一方でオタク、メイドカフェ、AKBといった言葉が社会現象化する。 リアルの世界では夢が実現せずとも、バーチャルな世界にはファンタジックな夢があった。マリオ、孫悟空(*13)、セーラームーン、ナウシカ、トトロ、ピカチュウなど、ヴァーチャル世界(ここではゲームとアニメ)のヒーロー、ヒロインが日常的な存在となり、初音ミク(*14)という架空の歌手アイドルが動き出す。 しかしSMAPはリアルであった。 彼らはファンの夢をリアルに演じつづけたのだ。 とはいえもともとが芸能の舞台における虚像としての存在である。近松の言葉を借りれば、現代の芸能はまさにバーチャルとリアルが並存するかたちの「虚実皮膜」(*15)の世界であろう。バーチャルがカラフル化する分だけリアルがモノクロ化するともいえる。 つまりSMAPは、バーチャル・リアル並立時代における夢の代行者であった。 かつてのスターは、たとえ舞台の上の、スクリーンの上の、ブラウン管の上の存在であっても、リアルな存在であり、ファンは彼らをモデルとして一歩でもそれに近づこうとした。しかし現在のアイドルは、バーチャルとリアルの二つの世界のあいだに置かれた存在であり、ファンはそれに近づくのではなく、自分の夢をそれに仮託するのである。 SMAPのメンバーの個性は、彼ら自身の個性であると同時に、そのファンによって創り上げられた個性でもある。初音ミクがユーザーの要望によって性格づけられるように、AKBのメンバーとそのポジションがファンの投票で決められるように、SMAPもまた、ファンの心理を反映して成長するアイドルであった。 そして彼らはだんだん大きくなった。 大人になりきったわけではないが、大人になる力をもったアイドルであった。五つの触覚をもった獏のように、ファンの夢を食べながら大きくなった。