SMAPと日本文化の30年
「崩壊後30年」という時代
前述のように、SMAPが結成されたのは1988年である。 その直後、世界と日本は大きな変革を経験する。 三つの「崩」だ。 1989年、1月7日、昭和天皇が「崩御」された。日本史上未曾有の敗戦を経験した「昭和」という激動の時代が幕を閉じたのである。大きな節目であった。そしてこのほど、平成天皇が退位の意を示されることによって、SMAPの30年はほぼ平成時代と重なることとなった。一つの元号を突き抜けたスターというのも珍しい。 その11月9日、東西ドイツを分断していた「ベルリンの壁」が崩壊した。資本主義陣営 vs 社会主義陣営の「冷戦」(*9)という二次大戦後の世界構造が崩れ去ったのだ。たしかに歴史の画期であった。 さらにこの時期から、不動産価格の暴落によって日本経済の劇的な凋落と低迷が始まった。「バブル崩壊」である。あとから考えてみればこれは単なる経済後退ではなく、戦後日本の経済成長という「神話の崩壊」であった。 SMAPというグループは、この三つの「崩」の後の30年を生きたのである。つまり彼らは「崩壊後30年」のアイドルであったのだ。
実現しにくい夢
どういう時代であったか。 一見、資本主義と民主主義が勝利したように見えた(*10)。しかしそのあと、ロシアをはじめ東ヨーロッパ諸国は一応の民主化を達成し資本主義マーケットに参加し、東の巨人中国は共産主義政権のまま参加して、グローバル化の時代となったが、同時に、資源の有限性、二酸化炭素による温暖化と異常気象の問題など、さまざまな地球的限界が見えてきた。 ヨーロッパではEUが結成され多くの国が参加したが、今は離脱する国が現れている。民主化に向かうかと思われた「アラブの春」は混乱に向かい、世界では、正規軍の衝突やゲリラ戦に代わって、無差別の自爆テロという「新しい戦争」が常態化した。 精神的、文化的な問題として大きかったのは、マルクス主義、社会主義という、資本主義の矛盾を前進に転換する拠点としての思想が消滅したことである。結果として人々の不満は、たとえばイスラム原理主義のようなカルトに、あるいはきわめて個人的な趣味の世界に向かう、逆進的な傾向が見えてくる。民主主義も、資本主義も、近代文明自体も、矛盾を露呈する。つまりこの30年は、人類が近未来への「リーディング・コンセプト(*11)」を喪失した時代なのだ。 国内に目を向ければ、度重なる財政出動と金融緩和で累積財政赤字は膨らむ一方、年金記録の消失によって官僚制度への不信はピークに達した。細川・羽田政権、民主党政権と、自民党に代わる政権も選択されたが、期待どおりの成果は上がらない。デフレ不況は一向に好転しない。阪神淡路大震災があり、オウム真理教事件があり、東日本大震災があった。皇太子殿下は妃を迎えられたが彼女は長い病からなかなか回復しない。やがてかつてのように元気な日本がよみがえるはずだという予測はことごとく裏切られた。 「崩壊後30年」は、明らかにそれ以前の30年とは異なっていた。世界においても日本においても、進歩、成長、発展といった、社会総体の希望がもちにくい時代なのだ。日本の社会をあえて10年ごとに性格づけるとすれば、1990年代は、バブル経済が弾けた「下降期」、2000年代は、ITバブルと小泉構造改革による「中興期」、2010年代は、民主党政権から安倍政権への「振子期(左から右へ振れる)」といえるだろうか。 夢がないわけではないが、なかなか実現しないのだ。 「失われた世代(時代)」ともいわれた。これはあまりいい言葉でもないし、文学上1930年代のアメリカの作家たち(*12)を指すので使いたくないが、かつてのようには、夢と希望が実現しにくい30年であったとはいえる。 それでも人々は夢を見ようとする。 SMAPは、その「実現しにくい夢」の代行者であったのではないか。 そしてそこに「情報上の都市空間」という新しい地平が拓かれた。