大阪・関西万博を前に、いま忘れてはならない昭和の小説家小松左京の警鐘 70年「人類の進歩と調和」と25年「いのち輝く未来社会のデザイン」―テーマの成り立ちを検証、見えてきた違いとは…
第1回から積極的に主題とすべき案を提示された。「人間の尊厳の再確認」「世界の文化の多様性」「ナショナリズムの調和」。第2回ではこのような意見を一つの文章としてまとめ、土台とすることで意見が一致する。今回の記事の冒頭に記載した、湯川や桑原らによる文章の推敲の議論は第3回だ。 そして、小松らが築いた理念重視の思想を受け継ぐ「基本理念」に至る。小松が「大変な名文」と評する出来だ。要約すると次の通り。 科学技術の進歩は、人類の生活に大きな変革をもたらしたが、世界にはいまだに多くの不調和が横たわる。人類の未来を繁栄に導くのは「知恵の存在」だ。人類の知恵が有効に交流できれば、そこに高次の知恵が生まれ、全人類に調和的発展をもたらす。万博を「そのようなよき時代の歴史の転換点」としたい―。 「人類の不調和を知恵で乗り越える」という壮大な物語だった。知恵や技術を包含する「進歩」と「調和」というキーワードからテーマが決まった。
議事の進行の仕方を見ると、現在の政府や行政機関には見られない自由さがある。議事の冒頭、事務局からは万博の歴史が簡単に説明されるが、議論の方向性は白紙で、委員に全て委ねられている。また、委員長の茅の次のような発言もある。「感情的な問題が起こっていいぐらいの気持ちで議論を戦わせて最終的なものに持って行く」。その言葉の通り、詳細に渡って、遠慮無用の論戦が展開された。 ▽堺屋太一の系譜 一方で、通産省側はテーマ委員会に冷ややかだったようだ。当時、若手官僚として政府の立場で万博の実務を取り仕切った堺屋太一は著書「地上最大の行事 万国博覧会」の中でこう振り返っている。「万国博の実体とは懸け離れた美辞麗句を並べて議論を重ね(た)」「テーマというのはキャッチフレーズに過ぎない。『皆さまの〇〇銀行』とか、『技術の〇〇』などと同じである」。堺屋は過去の万博が技術革新や国際交流の起点となっていたことを熟知していた。70年万博を、戦後日本を世界に示す機会にすべきと考えていたようだ。「今こそ規格大量生産社会となった日本を見せよう」。