神田生まれ にぎやかな親族に囲まれ 母は日本舞踊の師匠、芸者置き屋、松竹歌劇団員も 話の肖像画 喜劇役者、劇団SET主宰・三宅裕司<2>
《三宅さんの生まれ育ちは東京都千代田区神田神保町。江戸っ子だ。芸能関係者が多い、にぎやかな親族に囲まれて育った》 【写真】三宅裕司、病の克服を機に「軽喜劇を極めたい」 家は旧岩波ホール(岩波神保町ビル)の近くにありました。母方の祖母が新潟から上京して神田に住んだそうで、私は3代目ですから、「江戸っ子」ですよね。 父は国鉄(現在のJR)の技術研究所に勤めていた無口な人でした。母親が小学校の教室へ来て、「裕司、うちに帰っていらっしゃい。お父さんが笑っているから」という冗談が残っているぐらいです。 母は9人きょうだいの長女で日本舞踊西川流の師匠、叔父が亀戸で芸者置き屋、叔母が松竹歌劇団(SKD)の六條恵美という芸名で国際劇場に立ち、その旦那さんは作曲家でした。 祖父は印刷機械などを扱う会社を経営していました。当時は大きな家で父母と兄と私も暮らしていたことがあります。 そこにパーティー用の部屋があり、マンボブームでみんなが踊ったり、クリスマスパーティーを開いたりしていました。 父は8ミリフィルムカメラが趣味で、脚本を書いて撮って編集して、音楽も入れ、せりふもアフレコで入れて映画を作っていました。録音は夜中、寝静まってから仲間が集まってやるんですが、誰かが間違えると最初からやり直すしかないんです。ゲラゲラ笑いながら何回もやるんですよ。子供心に「楽しそうだな、早く大人になりたいな」と思っていました。 《8ミリフィルムカメラとは、8ミリ幅のフィルムで撮影する動画用カメラ。撮影や編集が比較的簡単だったため、家庭用としても人気があった》 旅行先でもおやじが8ミリカメラで撮ってました。山へ行ってカメラを持った父が先を歩いて、キューサインが出ると歩く。そんなことを子供のころからやっていたんです。 母親の影響で小学2年生くらいから日本舞踊を習っていました。4年生ぐらいになると恥ずかしくなって足が遠のいたんですが。高校で落語をやり出して、女性を演じるときは肩を落とした方が女っぽくなる。日本舞踊をやっているとそういうのがすっと出てくるんで、明治大学で落語研究会(落研(おちけん))に入るとまた習い始めました。意外なところで意外なものが役立つんですね。 やがて、「シャボン玉ホリデー」というテレビ番組が始まりました。