〝令和のタモリ〟へとひた走る麒麟・川島明 現代の『いいとも!』『タモリ倶楽部』が成立する理由
“明るい帯番組”のクラシックと最前線
出どころも芸風も違ううえ、川島はかつてのタモリのように、別ジャンルのタレントの作品に水をさして笑わせたりもしない。かつ、初期の『笑っていいとも!』では、タモリ自らが道化を演じて笑わせるパターンがほとんどだった。 そう考えると、『増刊号』で「放送終了後のお楽しみ」が放送され始めて以降の和気あいあいとした空間にいたタモリが、今の川島に近いのかもしれない。 かつて『笑っていいとも!』は、俳優や声優、アイドルや歌手、漫画家、小説家、落語家など、あらゆるジャンルのタレントがレギュラー出演していた。そんな中で、タモリは文化人でも然るべき場所で修業を積んだ芸人でもなく、一風変わったお笑いタレントとして真ん中に立っていた印象が強い。 しかし、現在はお笑い芸人がバラエティー番組のメインを占めている。それゆえ、相対的な役割として川島はタモリ的なのだろう。 前述の『辞書で呑む』の特番で、BGMに日本語ロックの先駆けとなったバンド・はっぴいえんどの「風をあつめて」、そのトラックにラップを乗せたかせきさいだぁの「苦悩の人」、日本語ラップのパイオニアとして知られるいとうせいこう&Tinnie Punxの「東京ブロンクス」が流れていてふと思いを馳せた。 川島の中学・高校時代に音楽シーンを席巻したのが、フリッパーズ・ギター、ピチカート・ファイヴ、スチャダラパー、かせきさいだぁ、TOKYO No.1 SOUL SETといったアーティストを中心とする1990年代“渋谷系”サウンドだった。 多くの渋谷系アーティストは、1960~80年代の様々な洋楽からモチーフやアレンジの着想を得たり、楽曲の一部を引用したりして新たな作品を生み出していった。つまり、既存の元ネタを現代のサウンドとしてコラージュするセンスが求められた時代で、そのクリエイティビティを今の川島からも感じるのだ。 番組のBGMには、時代によって変わりゆく辞書と日本語ロック・ラップを開拓したバンド、ラッパーとを重ね合わせる意図があったのだろうが、個人的には「明るい帯番組」「超個人的な深夜番組」のクラシックを作ったタモリと、そのフォーマットの最前線で手腕を発揮する川島とが結びついてしまった。