〝令和のタモリ〟へとひた走る麒麟・川島明 現代の『いいとも!』『タモリ倶楽部』が成立する理由
ジャズバンドの司会者とお笑い芸人
タモリは『ジャングルTV ~タモリの法則~』(毎日放送・TBS系、1994年~2002年終了)では料理、『ブラタモリ』(NHK総合、2008年~2024年3月終了)では街歩きで博学多才ぶりを発揮し、ある時期から“趣味の人”というイメージが色濃くなった。 川島においても、『ウダ馬なし』(関西テレビ)や『川島・山内のマンガ沼』(読売テレビ・日本テレビ系)といったレギュラー番組を抱えている。幅広い年齢層を対象とする帯番組とコアに向けた趣味番組の両面を並走させるタレントはごく限られるだろう。 とはいえ、大きな違いはスタートがお笑いか音楽かだ。川島は1997年にNSC大阪校に入学し、同期の田村裕とコンビを結成。第1回目の「M-1グランプリ」決勝に進出し、一躍注目を浴びることとなった。お笑い養成所を卒業して劇場で経験を積み、賞レースで結果を出して知名度を上げるのは今なら王道と言える。 一方でタモリは、早稲田大学の「モダン・ジャズ研究会」に入ってバンドマネジャーと司会を兼務。軽妙な司会ぶりが評判だったようだが、一度は福岡に戻ってサラリーマン生活を送る。その後、ひょんなきっかけで山下洋輔トリオ(山下洋輔、中村誠一、森山威男)のメンバーに笑いの才能を見出され再び上京。 伝説のバー「ジャックの豆の木」にて、デタラメな外国語やマニアックなものまねに加えて、同席した常連客のリクエストに即興で応える“密室芸”を披露して爆笑を起こし、徐々に業界関係者へと知れ渡っていった。 アドリブの妙が問われるジャズ、舞台やバラエティー番組で機転を利かせるお笑い。ジャンルは違うがどちらも引き出しの多さと、“今起きていること”に対していち早く意外性をもって返すセンスが求められる。 ジャズの世界に魅了され、テレビやラジオで心地よいリズムが生まれる空間を目指したタモリは、1970年代後半に「五、六人で酒飲んでワアワア言ってる時が非常に面白い訳で、それを何とか日常の自然な笑いの形で放送に出して見たいと考えた」と語っている。<『放送批評の50年』(学文社)より>