「モノづくり教育」だけでは不十分 起業家育成を狙う神山まるごと高専の「コトを起こす」野心
“未来の起業家育成”を目指し、2023年春に開校した神山まるごと高専。「テクノロジー×デザイン×起業家精神」の教育を通じて、モノづくりの力で社会を変革する「コトを起こす人」を育てるという。徳島県ののどかな山あいにある同校を訪れ、学生の話も聞きながら、起業家マインドを育てるために必要な教育や環境とは何か、考えた。 【もっと写真を見る】
「『起業』を自分のキャリアの選択肢ととらえている学生は、入学時点でだいたい70%です。2年生になると、これが80%くらいに増えました。さらに、学生起業も含む『近い将来』の選択肢として起業を考える学生は、いまの2年生で40%弱です」(神山まるごと高専 事務局長の松坂孝紀氏) JR徳島駅から自動車で50分ほど。徳島県のほぼ中央部、山あいののどかな風景が広がる神山町に「神山まるごと高等専門学校」(神山まるごと高専)がある。2023年4月に開校した、全国で4つしかない私立高専のひとつだ。全寮制の5年制高専であり、1学年約40人の学生たちが共同生活を送りながら学びを深めている。 神山まるごと高専にあるのは「デザイン・エンジニアリング学科」の1学科だけだ。同学科では、5年間をかけて「テクノロジー」と「デザイン(デザイン思考)」、そして「起業家精神」を学ぶ。“未来の起業家を育てる”教育方針に賛同した多くの企業、起業家個人がサポーターとして同校を支援しており、学生との交流やコラボレーションを求めてひんぱんに訪れることも特徴である。 諸外国と比較して起業意識が低く、学校教育の中で「起業家精神」を学ぶ機会も少ないとされる日本。そうした状況の中で注目を集める同校を訪問し、起業家マインドを育てるために必要な教育や環境とは何か、実際の在校生の話も聞きながら考えた。 「モノをつくる力で、コトを起こす人」を育てたい 神山まるごと高専 事務局長の松坂孝紀氏は、同校は「起業家たちが心から欲しいと思った理想の学校をつくる」ことを目指して開校されたと説明する。たとえば設立発起人の1人は、Sansanの創業者でCEOの寺田親弘氏だ(現在、同校の理事長も務めている)。ほかにも同校の設立や運営には多くの起業家たちが関わっている。 神山まるごと高専が育成を目指す人物像は、「モノをつくる力で、コトを起こす人」だという。 「これまでの高専の“モノづくりの力”は存分に生かしながら、さらに“コトを起こし、社会を大きく変えていける”人物を育てていきたい。わたしたちはそう考えています」(松坂氏) 日本国内には国公立/私立を合わせて高専が58校あるが、伝統的に工業系・工学系のテクノロジー教育、つまり「モノづくり人材」を育成する教育が中心となっている。しかし時代の移り変わりに伴って、そうした旧来の教育方針と社会が必要とする人物像にギャップが生まれているのではないか――。“コトを起こす”を求める背景には、そうした問題意識がある。 同校の教育カリキュラムは、前述した「テクノロジー×デザイン×起業家精神」の3本柱で構成されている。モノづくりに欠かせない「テクノロジー」に加えて、魅力的なモノ、選ばれるモノをつくるための「デザイン」(UX/ユーザー体験の設計も含む)、さらにそれを社会的な“コト”に変え、社会を変革/改善していく「起業家精神」のすべてを、学生時代に“まるごと”学んでほしいという方針だ。 同校では、開校資金や運営資金、独自の給付型奨学金基金(学費は実質無償化されている)、物品やサービスの提供、授業プログラムの支援といった面で「サポーター」を募っている。まだ開校2年目にもかかわらず、企業だけでなく、国内の有名起業家や企業経営者などの個人も多くサポーターとして参画しており、同校が目指す教育への強い関心と期待がうかがえる。 「もちろん、優秀な学生と一緒に研究開発をしたい、将来的な就職(優秀な卒業生の確保)につなげたいといった企業様の声もありますが、メインはそこではありません。将来的に当校出身の起業家と何か取り組みを行いたいなど、ゆるやかな“起業のエコシステム”に参画したい、そう考えて参画いただいているケースが多いですね」(松坂氏) 取材に同席したサポーターの1社、スマートロック「Akerun」を開発するフォトシンス(Photosynth)でも、まさに「テクノロジー×デザイン×起業家精神」を高専年代から育成するという同校のコンセプトに賛同し、「同じ志を持つ次世代を育成したいという思い」から、リソースサポーターに参画したという。 フォトシンス自身も、ハードウェアからソフトウェアまでフルスタックのモノづくりで2014年に起業し、物理鍵にまつわる不便さを解消して空間を自由化する、まさに“コトを起こす”取り組みを進めてきた。現在は施設の清掃や運営、接客などをギグワーカーが代行する施設運営会社向けBPaaS事業「Migakun」をローンチして、新たな“コト”を起こそうとしている。 「テクノロジー×デザイン×起業家精神」の教育とは 神山まるごと高専が取り組む「テクノロジー×デザイン×起業家精神」の教育とは、具体的にはどのようなものなのか。 その象徴的な例として、松坂氏は「ITブートキャンプ」を紹介した。これは、入学直後の1年生が最初に受講する5日間の集中講義だ。「神山町の地域課題を解決する」というお題が与えられ、学生どうしがチームを組んでアイデアソン、プロトタイピングのハッカソン、ピッチに挑戦するという。 「入学したて、つまり中学校を卒業したばかりの学生たちが、アイデアスキルも技術力もまだまだ足りないけれど、自分なりに解決策を考え、ハッカソンでプロトタイプを開発し、それを世の中に届ける体験をする。まさにわたしたちがここから5年間学んで行くこと、社会に出たら求められることはこれだと理解してもらい、自分に足りないスキルをどう高めていくのかもイメージしてほしい。そうした思いからこの授業を行っています」(松坂氏) 起業家精神を育むうえで大切にしている言葉として、松坂氏は「β Mentality(ベータ・メンタリティ)」という言葉を紹介した。最初から“欠点のない完成形”を求めるのではなく、“未完成のベータ版”を次々につくりだす挑戦を続け、想像を超える良いモノにしていく。失敗は成功までの過程に過ぎず、恐れることはないという、起業を目指すうえで必要な姿勢を表している。 筆者が見学した授業でも、このβ Mentalityの姿勢は色濃く反映されていた。 「保健体育×プログラミング」というユニークな授業では、ソニーのセンサーデバイス「MESH」を活用して、「町のお年寄りと学生が共に楽しめる、まったく新しいバリアフリースポーツの開発」に取り組んでいた。 この日は、各チームが考えた“ベータ版”にフィードバック(評価)をもらうという内容だったが、実際にプレイしてみると学生たちの思いどおりにはいかず、グラウンドや体育館のあちこちで笑い声が上がっていた。失敗してもそれを楽しみつつ、よりうまくいく方法を考え続ける――、これこそがβ Mentalityだろう。 日本を代表する起業家たちが訪問、直接話し合う機会も 「起業を当たり前の選択肢にする」ために、同校では毎週、日本を代表する起業家たちを講師に招いた特別講義も行っている。社会で活躍する起業家から直接話を聞き、意見を交わすことで、起業を他人事と考えていた学生たちの感覚が「アップデートされていく」と、松坂氏はその意義を説明する。 「先日は、星野リゾート代表の星野さん(星野佳路氏)や、CAMPFIRE社長の家入さん(家入一真氏)がいらっしゃいました。講義だけでなく、学生と一緒にご飯を食べて、夜も学生と語り合っていただく。そこまでがワンセットなので、オンラインではなくてリアルに(高専まで)来てください、とお願いしています」(松坂氏) 「コトを起こす人」を育てるという方針に基づき、課外活動や寮生活も学生主体で動いているという。松坂氏は「わたしたちも全部は把握できていないんです」と笑いながら、代表的なプロジェクトをいくつか紹介した。まだ開校2年目であり、学生数も約80人しかいないが、多彩な課外活動が展開されている。 たとえば、今年4月に開催された国際ロボットコンテスト「FIRST Robotics Competition(FRC)」ハワイ地区大会には、全員ロボット未経験者で結成された「Hanabi」チームが出場した。課外活動として、ロボット開発だけでなく、チームづくり、開発費や渡航費などの資金調達までを、すべて学生たち自身で行った。その結果、同校のパートナーや地元企業などから750万円の資金を集め、「Rookie Inspiration Award」を受賞している。 「残念ながら決勝大会には進めませんでしたが、学生たちは『来年も出場する』と意気込んでいます。それ以上に注目すべきなのは、大きな成果を上げられたことで『来年は1000万円集められる』と思っている(自信を持っている)こと。教育上、ここはすごく大事なポイントではないかと考えています」(松坂氏) 実際の学生は「起業」をどう考えている? 給食を食べながら聞いてみた ユニークな教育方針をとる神山まるごと高専には、全国から入学志願者が集まっている。開校2年目となった2024年度の志願倍率はおよそ10倍だった。現在約80名いる学生は、全国31都道府県と海外から、ここ神山町に集まっている。 入学試験には学力試験や課題レポートがあるが、そこでは「神山まるごと高専とのマッチング」を重視しているという。たとえば「モノづくりについての自己PR動画の制作」「自分の住む地域の魅力をテクノロジーで向上させるアイデアの提案」などを通じて、同校が求めるモノづくりへの興味関心、自分の意見の伝達力、“正解のない問い”への回答力などを測るという。 それでは実際に、どんな学生が、どんな意欲を持って学んでいるのだろうか。冒頭に挙げた松坂氏の言葉どおり「起業」に対する意識は強いのか。お昼の給食をいただきながら、2年生の中本慧思さん、山口空さんに話を聞いた。2人とも同校の第一期生だ。 中本さんはもともとモノづくりが好きで、早くから高専への進学を考えていた。進学先を探すうちに、当時は開校準備中だった神山まるごと高専のことを知り、学校の紹介動画を見たりサマースクールへ参加したりするうちに、その魅力を理解して「ファンになりました」という。 一方の山口さんは、小学生のころから行きたい高校があり、その高校を目指してずっと受験勉強もしていた。しかし、中学3年生の夏頃に、父親が「もし自分が中学生に戻れたら、行きたい学校がある」と神山まるごと高専を紹介してくれた。そこから自分も興味を持つようになったという。 2人に共通していたのは「(これから開校する高専なので)前例はないけれど、楽しそうだから入学してみよう」という姿勢だ。先に触れた「β Mentality」にも通じる感覚かもしれない。 自分のキャリアの中で起業をどうとらえているかを尋ねると、2人ともはっきりと「起業を考えている」と答えた。しかも遠い将来の話ではなく、できれば「学生のうちに起業したい」という。起業家と接する機会も多い彼らにとって、起業は「当たり前の選択肢」になっているようだ。 中本さんは「学生のうちに起業したいです。一回(起業の体験を)してみないと怖いから」と語った。すでに具体的なビジネスのアイデアはあるが、それをどう起業まで持って行けばよいのか、そこでどんな課題が生じるのかについて、早く経験しておきたいのだという。 山口さんも、ビジネスにできそうなアイデアは具体的に持っているという。ただし調べて見ると、会社設立はゼロ円でできるものの、それを維持していくために毎年数万円の税金がかかるため、少し尻込みしている最中だと笑った。 「コトを起こす」姿勢は、日常の中でも発揮されている。寮生活にまつわる“面倒なこと”を自分たちで改善しようと、それぞれ開発経験ゼロの状態から、自学自習でスマートフォンアプリを開発したという。中本さんは、学校スタッフが毎朝各部屋を訪れて行っていた点呼作業をアプリ化した。山口さんは、外出や外泊に必要な申請フォームへの入力を簡素化するアプリを開発している。 「やったらええんちゃう?」と応援するおおらかさを こうした学生の自発的な取り組みや課外活動に対して、神山まるごと高専では一貫して「応援する」姿勢をとっているという。アドバイスはしても指示はしない、学生が自ら考えて「やる」と決めたら見守りつつ必要な支援をする、そんなスタンスだ。課外活動の支援資金「チャレンジファンド」も用意している(ただし学生自身で予算計画を作成し、学校側にピッチを行って審査を通過する必要がある)。 事務局長の松坂氏は、「応援する」という姿勢は神山町がもともと持つ風土とも関係していると述べた。 「神山町には新しいことや人と異なる選択を応援する、『やったらええんちゃう?』と後押ししてくれる、そういう風土がしっかり根付いています。わたしたちも、そんな風土を体現したいと思っています」(松坂氏) * * * 神山まるごと高専の「まるごと」という言葉には、文系/理系を横断した学びというだけでなく、「授業も課外活動も寮生活も、神山町が“まるごと”学びの場」「成功も失敗も“まるごと”糧になる」という意味合いも込められているという。 近年では政府も、小中高校教育において起業家マインドの育成に取り組み始めている。それを推進し成果を上げていくためにも、先行する神山まるごと高専の実践は大いに参考になりそうだ。学びの場を限定せず、失敗もおおらかに許容すること。まずは、大人が「やったらええんちゃう?」を口ぐせにするところから始めよう。 文● 大塚昭彦/TECH.ASCII.jp