「最後の3年」安倍首相 性急な改憲議論に立ちはだかるハードル
安倍首相に有利だった3つの要因
今回の総裁選では、もともと安倍首相に有利な要因があった。 まず国会議員票に関する要因である。かつての自民党政権は、各派閥の勢力に比例させてポストを分配する派閥均衡の仕組みを取っていたが、現在は勝利した陣営がすべてを取り、敗者にはほとんど与えられない「勝者総取り」方式が定着している。その上、党や国会のポストの人事権や選挙での公認権が首相周辺に集中している。このため、国会議員は雪崩を打って安倍首相支持に走った。 地方票(党員・党友票)に関する要因としては、第一に、人々が森友・加計問題へ飽きてきた様子が見られることである。たとえば、7月頃の各種世論調査では、同問題への首相の説明に納得していないという人が多い一方で、内閣支持率は反転上昇している。この事実が意味するのは、森友・加計学園問題に重きを置いていない人が多くなっているということであろう。 第二に、政策論争が今ひとつ活発でなかったことである。北海道での地震のためもあり討論会など論争の機会が多くなかったことに加え、財政再建などについての石破陣営の提案も今ひとつ具体性に欠けていた。 第三に、人々の持つ現状維持バイアスがある。有権者は、経済状況がよいときはリスクを取るより現状維持を選好しがちであるため、現職を支持しやすい。 このように、安倍首相は構造的に有利な状況にあった。それにもかかわらず石破氏が45%近くの地方票を獲得したことは、安倍首相に対する批判の声が無視しえない程度に存在することを示している。安倍首相の今後の政権運営が注目される。
政策論争の盛り上がりは今一つ
総裁選での争点を振り返ってみよう。今回論点となったのは、憲法改正、アベノミクス、財政再建、政治手法などである。 憲法改正について、安倍首相は、戦力不保持と交戦権否認を規定した9条2項を維持し、新しい条文(「9条の2」)を新設して自衛隊を明記するという立場である。8月には「党の改憲案を次の国会に提出できるよう取りまとめを加速すべき」と発言しており、秋の臨時国会に改憲案提出を目指す意向を見せている。 一方の石破氏は、9条2項を削除することを主張している。秋の臨時国会への提出は「ありえない」と述べており、提出時期については慎重であった。また、9条改正よりも参院の合区解消や緊急事態条項を優先すべきとの立場であった。 アベノミクスについて、安倍首相は、雇用や企業収益などでの実績を強調しつつ、「三本の矢」によりデフレから完全脱却し、名目GDP600兆円の実現を目指すことを主張した。 石破氏は、「日本創生戦略」で「ポスト・アベノミクス」を打ち出している。そのポイントは地方経済の重視である。また石破氏は、アベノミクスが基づいているとされるトリクルダウン理論(※都市から地方、大企業から中小企業、富裕層から一般国民へ成長の果実を波及させるというもの)を批判し、「地方、中小企業が果実を生み出すのだ」と主張している。 財政について、安倍首相の政策は、消費税率10%への引き上げを実行する一方で教育無償化等も実施するというものである。なお、これまで安倍首相は消費税率の10%への引き上げを2回先送りしてきた(当初予定は2015年10月だったが、いったん2017年4月に延期され、さらに2019年10月に延期された)。そのためもあり、2025年度にプライマリーバランス(基礎的財政収支)を黒字化するという目標の達成は難しい可能性がある。 そのため石破氏は、「将来世代に負担を先送りすることは厳に戒めなければならない」として財政規律を重視する姿勢を見せていた。「社会保障国民会議」を立ち上げて、消費税率10%引き上げ後を議論することも主張した。 政治手法については石破氏が積極的に取り上げた。周知のとおり安倍首相は、官邸主導の政治手法で長期政権を達成した一方、森友・加計学園問題、自衛隊日報問題などが発生した。 こうした点を受け、石破氏は「政治・行政の信頼回復100日プラン」を発表し、内閣人事局の運営の見直し、官邸主導の政策推進プロセスの透明化、公文書改ざんの再発防止などを訴えた。ただし、当初掲げていた「正直、公正」のキャッチフレーズは、党内の批判を受けたこともあり選挙戦では前面に出さなかった。 以上が主な争点であったが、これに関してはいくつかの問題が指摘できる。 第一に、総裁選での争点と世論の関心との間にズレがあったことである。各種の世論調査によれば、次期総裁に重視してほしい政策として上位に挙げられたのは社会保障や景気対策であり、憲法改正は下位であった。 第二に、前述のとおり政策論争は活発さに欠けていた。争点が人々の関心と乖離していたことに加え、具体的な議論が不十分だったためである。 第三に、石破氏のスタンスに関してある種の「ねじれ」が存在したことが挙げられる。すなわち、石破氏は、かつて自衛隊を「国防軍」へ変更することを主張するなど、本来はタカ派の色彩が強い政治家である。しかし今回の総裁選での石破氏の主張は、憲法改正への慎重姿勢やアベノミクス批判など、党内リベラル派に近いものだった。安倍批判勢力を糾合するための戦略だったのだろうが、違和感を持った人もいたのではないか。 ※…安倍首相は9月14日の日本記者クラブ主催の討論会で「トリクルダウン」理論を前提としていることを否定する発言をしている。