「東大と甲子園」を目指す!中高一貫校・明星“しまじろう校長”が重視する見えない力とは
私立高校が全国に名をはせるため、東京大など最難関国立大への進学実績と高校野球で甲子園大会に出場という二兎を追う戦略がはやったことがある。地元多摩密着の老舗学園である明星学苑も、ひょんなきっかけから「東大と甲子園」に手が届くかもしれないという。ユニークな教育を進める「しまじろう」校長の原点となる経歴にも触れてみよう。(ダイヤモンド社教育情報、撮影/平野晋子) 【明星しまじろう校長】の写真を見る 水野次郎(みずの・じろう) 明星中学校・高等学校校長 1957年愛知生まれ。愛知県立時習館高校、慶應義塾大学文学部英文学科卒業後、福武書店(現・ベネッセコーポレーション)入社。進研ゼミ「中学講座」広告宣伝部から「こどもちゃれんじ」創刊編集長に。人気キャラクター「しまじろう」の開発リーダーを務めた。大阪支社長を経て退職し、プチホテルを開業(静岡・伊東市)。2008年、千葉県の民間人校長採用選考に応募、県立薬園台高校教頭に。09年県立柏井高校校長の後、松戸市立旭町中学校、県立松戸国際高校の校長も務める。18年私立開星中学校・高等学校(島根・松江市)校長に転じ、23年明星中学校・高等学校副校長、24年4月より現職。第11回伊豆文学賞の優秀賞受賞。
甲子園への夢をかなえたい
――前回はキャリア教育についてうかがいました。広いグラウンドでは、野球部とサッカー部が同時に練習していますね。 水野 そうですね、本校はもともと男女ハンドボール部や陸上部がインターハイの常連であったり、中学校テニス部、珍しいところでは水泳部、将棋部なども全国進出しています。ここに野球部が加わったら面白い。実はいま、本気で甲子園に行きたいなと思っています。 ――そうなんですか。夏の甲子園大会ですと、こちらは西東京大会ですね。早稲田実業学校や日本大学第三のような強豪校がいますが。 水野 昨年、豊橋南部中学校の同級生で、小中と幼なじみだった永田昌弘君と会いまして、彼が長い間監督を務めていた国士舘高校を定年退職するというので、うちに監督として来てもらうことになりました。 ――有名な方のようですね。国士舘高校を初めて甲子園に連れて行ったと。 水野 野球部がある高校は、例外なく甲子園大会出場は夢でしょう。明星の最高位はベスト4で、永田監督が率いていた国士舘に夢を絶たれたと聞いています。本校は進学校ですから、甲子園出場と共に、前回お話ししたMGSコースからも、東大をはじめとする最難関国立大への合格者も出るようになれば面白いぞと思っています。 永田監督が来て、「3年後に甲子園大会に出場する」と目標を掲げましたら、府中市のバックアップがすごい。「府中市から初の甲子園大会出場」と大変な盛り上がりです(笑)。私と同じ歳の永田監督は、70歳までは頑張ってくれるそうです。 ――勝算はあるのですか。 水野 永田監督の指導力は卓越しています。今年の夏は残念ながら1回戦で終わってしまいましたが、この秋以降に期待しています。 選手の獲得では、多摩や神奈川は東海大相模、帝京、横浜には勝てません。身長190cm以上の選手はそういう学校がみんな取っていきます。その点、必ずしも体格的に恵まれなくても力のある子を集めて、勝ってきたのが国士舘でした。育てるプロとして評判なのが永田監督です。 うちにも、来年は何人か有望な選手が、永田監督の指導を受けたいと言って入ってくることを願っています。夏とは異なり、春の選抜大会は全東京で競います。その後、関東大会に出て、甲子園大会に進んでいきます。 ――やはり、指導者次第ですものね。ところで水野校長はもともと、出版社に勤めていましたね。 水野 51歳から千葉県の民間人校長となりましたが、その前は福武書店(現・ベネッセコーポレーション)に24年間勤務していました。中でも「こどもちゃれんじ」編集部での10年間の経験が今につながっていると思います。 「こどもちゃれんじ」は創刊準備期間が1年間ありました。私以外の3人の女子部員は全員が国立大の教育学部出身でした。ご執筆いただく絵本作家を探す一方で、私自身は発達心理学の本を半年間集中して読みました。全然知らない世界でしたので、先生方を訪ねるたびに、頭を割られるような衝撃を受けていましたね。