遠藤航、三苫、冨安ら海外移籍は、磐田・藤田俊哉のおかげ!? Jリーグ移籍金制度撤廃への道
「Jリーグが潰れる」と反対された
――やはり反対されたのですか? 「当時日本サッカー協会会長だった犬飼基昭さんは、『それは当然だよね』と容認してくれました。犬飼さんご自身が欧州三菱自動車の社長を務められていたこともあったからかもしれません。でも、JリーグのチェアマンはNOでしたね。僕らが主張していることが運用されたら、『Jリーグが潰れる』と言う人もいました。 僕は潰れるわけないと思っていましたよ。世界中で運用されているルールを適用して、潰れるのなら、それもしょうがないというようなことを言って、『無責任だ』とひどく怒られましたけど(笑)。ただ、僕らが訴えたのは、Jリーグを守るために発足10年間は、ローカルルールを運用してきたことは理解している。でも、もう15年が経とうとしているなかで、世界基準のルールに改善できないのか? ということです」 ――自国でワールドカップも開催し、「世界基準」という言葉が語られていたサッカー界において、なぜ契約問題、選手の権利は国際化できていないのか。 「あまりにドメスティックな話ですよね。『それは選手の総意なのか?』とよく聞かれました。実際は総意ではあるものの、なかには興味のない選手もいるわけです。丁寧に説明し、資料も作りましたが、当然読まない選手もいる」 ――自分の地位や権利の話なのに、いわゆるスポーツに政治を持ち込むなじゃないけれど、競技だけに集中するのが美徳とされているから、無関心層も一定数はいたんですね。 「そうですね。クラブから、選手会の要求を飲むと多くの選手と契約できなくなるという話をされた選手もいましたね」 ――脅し? 「脅しなのか、本当にそう考えていたのかはわかりませんが、不安に思う選手が出て来ることもありました。ただ、国際サッカー連盟(FIFA)の基準に従ってほしいと言っているだけなのに」 ――長い交渉の結果、2009年に日本プロサッカーリーグ移籍金制度が撤廃されました。翌年には海外でプレーする日本国籍選手も加入する日本プロサッカー選手会に名称・組織変更を行い、日本代表選手の待遇改善を訴えることになりましたね。2010年12月には「代表戦のボイコット」という記事がスポーツ紙を賑わせていました。 「代表選手へ日当や保障を訴えたのが、三浦知良さんでした。それが1991年です。それから20年近く経っているのに、当時とほとんど変わらない。勝利給にしても、クラブと比べても相当低い状況でした」