市毛良枝「2度の脳梗塞で車椅子生活になった母の目を見張る回復力。100歳で逝った母は〈楽しいことを諦めない大切さ〉を教えてくれた」
母の介護を13年近く続けた市毛良枝さん。市毛さんの母は、脳疾患と大腿骨骨折により歩けなくなることが懸念されていました。しかし、懸命なリハビリで医師も驚くほどに回復し、90代では海外旅行を楽しむまでに。さまざまな葛藤を乗り越えて母に寄り添った市毛さんが、その姿から学んだことは(構成:丸山あかね) 【写真】オレゴンのローズガーデンで * * * * * * * ◆手術ができず、一度は死を覚悟した 母は2016年に100歳と10ヵ月で旅立ちました。13年にわたる介護生活は、とにかく苦労の連続でした。しかし母は、その生きる姿を通して「楽しいことを諦めない大切さ」を改めて教えてくれたと思っています。 旅好きだった母が最後に海外旅行を楽しんだのは、亡くなる2年前でした。とはいえ、98歳までピンシャンしていたわけではありません。寝たきりを覚悟した場面からのV字回復が見事だったのです。 歯医者さん以外にはお世話になったことのなかった母に大腸がんが見つかったのは、86歳の時でした。当時は二世帯住宅の1階と2階に分かれて暮らしていたのですが、母は趣味の手仕事に没頭するとほかのことは何もしたくなくなるみたいで。 私が仕事から戻り様子をのぞきに行くと、夕飯を食べていないことが何度もあったのです。冷蔵庫の食材もほとんど減っていない。これはまずいな、と思っていた矢先のことでした。
ところが母は、食事の大切さを説明してくれる主治医の前で「もう嫌いなものは食べません。野菜は一切食べたくない」と宣言。私は母の態度にムッときて、帰りの車の中で言い争いになりました(笑)。つまり喧嘩できるほど元気だったわけですが、手術をしてみたら、想像していたより深刻で。 術後の回復が早く、これまでと変わらない生活に戻ることができたのは幸いだったものの、これはあくまでも前哨戦。その2年後、今度は脳梗塞を起こしたのです。 母が友人と船旅をしている最中の出来事でした。船長から私にファクスで連絡が入り、母が食事中にコーヒーカップを取り落とした、と。たまたま高齢者専門病院の院長が同席していらして、異変に気づいてくださったのが不幸中の幸い。ごく軽い病状で、すぐに投薬したので心配はいらない、と報告を受けました。 急いで仕事を終えて船が停泊するハワイまで会いに行くと、母は予想以上に元気で拍子抜けしたのを覚えています。 しかしその翌年、2度目の脳梗塞に見舞われました。この時も病状はさほど深刻なものではなかったのですが、リハビリ病院へ転院したあとに脳出血を起こして。さらに、治療のため総合病院に戻された翌日、ベッドから落ちて大腿骨頸部を骨折してしまいました。これが介護生活の引き金となったのです。 脳梗塞の薬で血をサラサラにしていたためすぐに手術ができず、高齢ということもあり手術を待つ間に脳に障害が残ってしまうかもしれない、手術できたとしても一生歩くことはできないかもしれない、と説明されました。 生きて帰れない最悪のケースまで想像しながらぼんやりと、「車椅子生活になったら、坂の上に立っている今の家にはもう暮らせない。引っ越すしかないな」と考えていたと思います。