市毛良枝「2度の脳梗塞で車椅子生活になった母の目を見張る回復力。100歳で逝った母は〈楽しいことを諦めない大切さ〉を教えてくれた」
◆90歳でも筋肉は鍛えられる 手術後は少し麻痺が残り、母は車椅子の生活に。身体はすっかり弱っていましたし、寝たきりになるのは時間の問題だと覚悟していたのです。手術後しばらくしてリハビリ病院に転院したのですが、ここからの母の回復力には目を見張るものがありました。 母は面白い人で、リハビリがとにかく楽しくて仕方なかったようです。大正生まれでスポーツジムに行ったこともありませんから、リハビリでいろんな器具を使うのが新鮮だったのでしょう。 なかでもウォーキングマシンやエアロバイクがお気に入りで、徐々に負荷を重くしてみたり(笑)。入院中は、毎日3時間くらいトレーニングを行っていました。 家で手仕事しかしていなかった母が? と意外でしたが、考えてみれば、私が勝手に母はスポーツに関心がないと思い込んでいただけなんですよね。70代の時には私と一緒に山にも登っていたので、また山に行こうという目標が本人のモチベーションになっていたのだと思います。 それにしても、90歳のほっそりとした脚にしっかりとヒラメ筋がついた時は、ビックリしました。「90歳でも筋肉を鍛えることができるんですね」とリハビリの先生に母の脚を見せたら、先生は「あら、本当だ」って驚いていましたけど(笑)。 最終的に母は、杖で歩行できるまでになりました。総合病院の先生にも杖で歩く母の写真を送ったところ、「ここまで回復するとは思わなくて、みんなで泣きました」と言ってくださったんです。 つまり症状は思った以上に重く、母がそれを上回る努力をしたということでしょう。
◆在宅リハビリで起きた異変 母は半年間の入院を経て、私が事前に準備していた仮住まいのマンションで暮らすことになりました。便利な立地でバリアフリー。トイレや浴室に手すりもつけましたが、実際に暮らし始めてみるとさまざまな工夫が必要でした。 たとえば、マンションって壁が近くにない場所がたくさんあるんです。そうすると手すりがつけられない。だから、伝い歩きをしたり転びそうになった時に手を置けるように家具を配置しました。 そして車椅子生活になったら、その家具をどけて動線を広く確保する。介護しやすい家の絶対条件は、状況に応じて間取りや使い勝手を変えていけることだと思いました。 リハビリには退院後も週2回ほど通っていましたが、日数制限があるので卒業の時を迎えます。その時点で母は要介護2でしたので、在宅リハビリに切り替えなくてはならなくなる。それで母はやる気を一気に失ってしまって。 その時にわかったのは、一緒に頑張っている仲間の存在や周囲の視線が刺激となり、パワーが生み出されていたのだということでした。 リハビリのお仲間に、「市毛さんが楽しそうに頑張っているから、私も頑張ろうって思うのよ」と声をかけていただいたり。そういう環境が大事なのに、と悲しくて泣いた記憶があります。 そこで私は、母でも受け入れてもらえるスポーツ施設を探し回りました。選択肢をできるだけ増やすために、障害者手帳も申請して。でも、よさそうな施設を見つけても遠方で、私が送迎しなくてはいけなくて泣く泣く断念。結局、リハビリの環境を整えることに走り回る日々でした。 (構成=丸山あかね)
市毛良枝