大好きな地方で挑む初の監督業 俳優で歌手の石丸幹二の今 マルチに活躍する表現者が芸能人生第3幕で目指すもの
地元の人たちの「ホーム」にしたい
入り口からホールまでの長い階段、屋上庭園など、同館の特徴的な空間を活用することも構想中。「ここでしかできない発信をする拠点としてのホームであると同時に、まちの人たちが自分の劇場のような思いで帰って来られるホームにしたい」。改修でホールが使えない時期のある来年の活動を見据え、また、朗読劇シリーズなど、改修後のアイデアを膨らませる。
地域文化の継承「お手伝いしたい」
市内の地域を訪ね、地域ごとの文化を継承する視点にも思い至った。奈川の獅子舞といった文化財など「どの地域でも、地域のために皆さんが一生懸命やっていることがある。それを無理に束ねる必要はない。私たちも何かお手伝いしたいと思っているということをまず知ってもらうのが大事だと考えています」。
松本市と関わるきっかけは
1992年、大町市にある劇団四季の施設からの帰り、開催中のサイトウ・キネン・フェスティバル(SKF)松本(現セイジ・オザワ松本フェスティバル)に敬愛するソプラノ歌手のジェシー・ノーマンが出演すると知り、胸が高鳴った。SKF松本でも上演した音楽劇「兵士の物語」や「空中キャバレー」など多くの串田作品に出演し、通った松本は「大好きな場所」になった。
長野県と30年近い縁
就任前には偶然、映画「太陽とボレロ」(2022年)で同館や松本市内などなじみの場所でロケをした。軽井沢でのコンサートも含め、信州との30年近い縁の糸が結集したような今回の就任。「他の地域や施設のことを勉強し、県内で連携して発信できることがあれば」とも思い描く。
マルチな活躍
サックスや声楽を学び、1990年に劇団四季のミュージカル「オペラ座の怪人」でデビュー。テノールの美声で多くの主要な役を務め、看板俳優として17年間を駆け抜けた。退団してからも17年。2013年に出演したテレビドラマ「半沢直樹」で知名度を上げ、番組司会などマルチな活躍がめざましい。「劇団で養成された時期を経て、自分の活動を広げたのが第2章だとすると、第3章は後の人に『残していく』時期だと感じている」