長崎平和祈念式典のイスラエル不招待問題――露呈した日本と欧米の認識ギャップ
欧米ではイスラエルのボイコットはタブー
なぜ長崎市と、欧米諸国の間にこのような対応の違いが生まれたのだろうか。その背景には、イスラエルという国への態度の違いがある。イスラエルの大使を式典に招かないことは、一種の政治的なボイコットである。日本ではあまり知られていないが、欧米の政府関係者や外交官の間では、イスラエルに対するボイコットは、タブーである。私が住んでいるドイツでも、タブー視されている。日本を除くG7諸国とEUが大使を式典に送らなかったのは、イスラエルがボイコットされた式典に大使を出席させると、その国はイスラエルに対するボイコットを支持または追認していると見られる恐れがあるからだ。 イスラエルとの関係を重視する米国のエマニュエル大使が、式典に出席しなかったのは、欧米の論理では当然のことである。 欧米ではイスラエルに対するボイコットはデリケートな問題だ。2005年に創設されたBDS(ボイコット、投資撤収、制裁)は、イスラエルに対する経済的・文化的ボイコットを呼びかける運動だが、米国では38の州がイスラエルに対するボイコットを禁止する法律を施行している。ドイツでは連邦憲法擁護庁が、BDSを過激組織の疑いで監視している。つまり米国やドイツではイスラエル排除は、BDSの一種と思われる危険があるので、細心の注意が必要だ。ドイツ政府は他宗教・他民族の差別を禁じているが、特に反ユダヤ主義的な発言や行為には厳しい態度を取る。 多くの日本人は、「欧米諸国はパレスチナ人に対しては配慮しないのに、イスラエルには気を遣い過ぎだ」と思うに違いない。だが良し悪しは別として、欧米ではこれが外交ルールとなっている。この不文律を破ることは、少なくとも欧米では容易に認められることではない。
欧米政府もガザの死者増加で苦境に
だが欧米諸国が、ガザ問題で苦しい立場にあることも事実だ。米国やドイツ政府は、「イスラエルには自衛権があり、ハマスの戦闘員と戦う権利がある」と主張する。だが同時に米国やドイツ政府も、イスラエルのガザ攻撃で民間人に多数の犠牲者が出ていることを問題視している。 両国はベンヤミン・ネタニヤフ政権に対して、「民間人の犠牲者を少なくするように努力するべきだ」とアピールしている。米国やドイツ政府、欧州委員会は、イスラエルがガザ攻撃で多数の市民を殺傷していることは問題だが、「イスラエルはハマスが実行した10月7日の虐殺事件での被害者でもある」という見方を取っている。 ハマスの戦闘員たちは10月7日に、イスラエルのキブツ(農業共同体)などを襲撃し、女性・子どもを含む1139人を残虐な方法で殺害した。被害者の女性の一部は、集団で性的暴行を加えられた。ハマスは200人を超えるイスラエル人を誘拐し、今でも約100人がガザに監禁されている。1948年のイスラエル建国以来、これだけ多くの市民が殺害されたり誘拐されたりしたのは、初めてだ。パレスチナ側の死者数が、10月7日事件でのイスラエル市民の死者数の約35倍に達しているため、日本の報道ではしばしば10月7日事件が軽視される。イスラエルにホロコースト以来最大の衝撃を与えた10月7日事件は、米国やドイツでは日本よりも重視されている。このため米国やドイツ政府は、「イスラエルは被害者でもある」という立場を貫いている。 だがガザ市民の死傷者数が極めて多い上に、イスラエル軍の無差別攻撃が終息する兆しが見えないことから、米国、ドイツなどイスラエルを支持している国の立場も苦しくなりつつある。それでもこれらの国々は、式典への不招待などのボイコットには踏み切らない。今年のパリ五輪でも、イスラエルはボイコットされなかった。 日本では、「人権を重視するはずのドイツがイスラエルを支持するのはおかしい」という批判をしばしば聞く。だが、ナチス・ドイツは1940年代に、欧州に住む約1100万人のユダヤ人の抹殺を計画し、実際に約600万人を絶滅収容所などで殺害した。これだけの大罪を過去に犯したドイツ人に対し、「イスラエルを断罪せよ」と要求するのは、無理な注文である。ドイツのアンゲラ・メルケル前首相、オラフ・ショルツ首相は「イスラエルの安全を守るのは、ドイツの国是の一つ」とまで宣言した。だがガザ地区で死者が増えるたびに、イスラエルだけではなく、米国やドイツ政府に対する批判も世界中で強まる。