署名活動に区長宅への訪問陳情。「三崎町」という名を住民の手で守るも歴史は繰り返され…<旧町名>でたどる千代田区の歴史
◆神田區須田町、神田旭町、神田田代町、神田一ツ橋 <神田區須田町> 交通博物館がなくなりました。神田駅地下街も万惣(まんそう)もなくなりました。任天堂も栄屋ミルクホールもなくなり、肉の万世(まんせい)・秋葉原本店も24年3月末で閉店しました。 ですが、柳森(やなぎもり)神社があります。海老原商店も山本歯科医院もあります。藪そばも千代田区一の魔境・自販機コーナーも、そして神田區須田(かんだくすだ)町があります。これだけで十分です。ミルクホールは神田多(かんだた)町でした。 <神田旭町> 昭和36年、あるビルの建設工事中に瓦や盃などの遺物が出土しました。これらは江戸初期この地に屋敷を構えた秋田藩佐竹氏の品であることが、瓦に印された「扇に満月」の家紋によってわかったのです。 家紋が満月なのに「朝日」町なのはさておき、町名の由来が佐竹氏家紋である点を踏まえ、この神田旭(かんだあさひ)町の旧町名も佐竹氏の遺物として扱おうではありませんか。 <神田田代町> AKB劇場向かいの雑居ビル群に2つの神田田代(かんだたしろ)町の跡がありました。UDXと中央通り間の狭小町域を考えると奇跡的な現存であるため、ビルごと消えたいまとなっては夢か幻だったのでしょう。 田代という文字、いずれまた夢でもし逢えたら素敵なことですね。まあ、しいて言えば文字だけなら「アキバ田代通り」で逢えますけどね。 <神田一ツ橋> 一ツ橋の2つの丁目は、なんと郵便番号が異なります。 1丁目は「100―0003」で、2丁目は「101―0003」。 同じ町名なのにどうしたの。人口50人なんだし仲良くしなよ。 実は、千代田区成立以前のそれぞれの旧々町名が原因でした。1丁目は「麹町區竹平(こうじまちくたけひら)町」で2丁目は「神田區一ツ橋通町」。 別の自治体だったのです。 ※本稿は、『旧町名さがしてみました in東京』(二見書房)の一部を再編集したものです。
102so
【関連記事】
- 相鉄新横浜線開通で存在感を高めた「相模鉄道」。<砂利輸送からの転換>という異色の経歴、東急を手本にするような施策に取り組んできたその歴史
- なぜ「京急電鉄」沿線住民の<愛線心>はこれほど高いのか。美しい塗色、走りのよさ、サービス…<鉄道事業そのものへの愛>が生まれる背景
- 「沿線格差」の頂点!?路線が長くもなく観光地もない東急電鉄が「セレブ路線」として扱われるようになった背景とは…戦前から貫かれる<東急グループの基本戦略>
- 創業期から沿線開発に熱心でビジネス意識に富んだ「小田急電鉄」。沿線環境の豊かさに加えて、箱根観光の楽しさも活動の重要な要素に
- いっけん地味?でもあなどれない実力「京王電鉄」。雰囲気の違う系統が、同じ沿線になった理由とは…その歴史を太平洋戦争まで遡る