署名活動に区長宅への訪問陳情。「三崎町」という名を住民の手で守るも歴史は繰り返され…<旧町名>でたどる千代田区の歴史
「現在では使われなくなった地名=『旧町名』は、古い家屋の表札やビルなど様々なものの中に発見することができる」と語るのは、16年以上、全国の旧町名の名残りを探し、その記録をブログなどで発信している102so(じゅうにそう)さん。今回、『旧町名さがしてみました in東京』から東京・千代田区の旧町名にまつわるエピソードを紹介していただきました。102soさんは「旧神田區の町名には何らかの形で神田が付くが、神田という町名はない」と言っていて――。 【写真】旧教育会館の門柱に残る旧町名。風化が進み今後文字が判読できなくなるかも。見るならいまのうち * * * * * * * ◆三年町 <三年町> 日本の中枢こと永田町・霞が関。実は彼らの名前は明治5年の誕生以来、町名変更する事なく存在しつづけています。 一方で、彼らに隣接し同じ明治5年誕生でありながら消滅した町名もあります。 それが三年(さんねん)町です。官僚の出世争いの如く同期に出し抜かれた悲しみの町名・三年町。そもそも三年とはいったい何の年数でしょうか。 場所柄何らかの任期と思いきや衆議院は4年、参議院は6年。転んだら3年以内に死ぬという俗信を持つ三年坂にちなんで三年町なのです。 死にたくない思いで現地に赴き坂を確認したところ、恐ろしいことに転んでも寿命を全うできそうな安心設計でした。 消滅から3年以内どころか50年以上経っても現地の古ビルに生きつづける三年町。 おそらく三年坂の俗信が間違いであることを自らが証明しているのでしょう。令和5年時点では、もはや五十五年町です。
◆神田松富町、神田五軒町 <神田松富町> 東京メトロ末広町駅周辺がリノベーション街になりつつあります。 築70年の蒲鉾店がジューススタンドに、同じく築70年以上の古民家がフレンチ店に。いずれもこの神田松富(かんだまつとみ)町での既存建築物の活用事例です。 なお、町名由来も松下町+永富町という既存を活かした合成。まさか町名までリノベとは。 <神田五軒町> 5つの大名屋敷があったから神田五軒(かんだごけん)町。 末広町駅周辺リノベ街化の起点はこの旧町域内にあるアーツ千代田3331。 この施設は平成17年に閉校の練成中学校をリノベし平成22年に誕生した文化芸術の発信拠点。 体育館の垂直跳び台も廊下の手洗い場もそのままでした。 ※アーツ千代田3331は令和5年3月31日閉館
【関連記事】
- 相鉄新横浜線開通で存在感を高めた「相模鉄道」。<砂利輸送からの転換>という異色の経歴、東急を手本にするような施策に取り組んできたその歴史
- なぜ「京急電鉄」沿線住民の<愛線心>はこれほど高いのか。美しい塗色、走りのよさ、サービス…<鉄道事業そのものへの愛>が生まれる背景
- 「沿線格差」の頂点!?路線が長くもなく観光地もない東急電鉄が「セレブ路線」として扱われるようになった背景とは…戦前から貫かれる<東急グループの基本戦略>
- 創業期から沿線開発に熱心でビジネス意識に富んだ「小田急電鉄」。沿線環境の豊かさに加えて、箱根観光の楽しさも活動の重要な要素に
- いっけん地味?でもあなどれない実力「京王電鉄」。雰囲気の違う系統が、同じ沿線になった理由とは…その歴史を太平洋戦争まで遡る