社説:国立劇場の再整備 「芸能文化の顔」なき異常事態
日本の芸能文化の殿堂が、老朽化に伴う建て替えのため閉じて1年余り、再開場の見通しが立たない。「国の顔」が不在という異常事態が続いている。 1966年に設けられた東京・国立劇場は、歌舞伎や文楽、舞踊などの至芸を披露するとともに、次代の演者や鑑賞者を育む重要拠点を担ってきた。 再整備に向け、2022年と23年に行われた事業者選定の入札は資材高騰などでいずれも成立せず、建設業者が決まらないまま、昨年10月末に閉場した。 本来なら、今春に解体を始め、来年の秋から本体工事に入るはずだった。次回の入札は早くて再来年以降ともみられ、29年度予定だった再開場は大幅にずれ込む可能性が高い。 このままでは10年近い空白が生じかねない。 9月には俳優や演奏家でつくる日本芸能実演家団体協議会は「日本文化の根幹に計り知れない影響を与える」として、早期再整備を求める要望書を国に提出した。 日本舞踊協会常任理事で、京舞井上流家元、人間国宝の井上八千代さんは「国立劇場がないことの寂しさ、おかしさは国として責任を感じてほしい」とし、「発表の場がなければ新たな創造もない」と強く訴えた。 2度の入札は、建設業界の人手不足と資材高騰で応札なしや辞退となった。22年に事業費は800億~900億円とされたが、現在は約1400億円まで膨らんでいるとされる。 劇場は日本芸術文化振興会の運営で、所管する文化庁の年間予算は1千億円程度しかない。巨額の再整備費確保のため、民間資金を活用するPFI方式を導入した。 施設整備と管理運営を民間に委ね、低層階に劇場、その上にホテルなどを建てる計画だったが、入札不調を受けてホテル併設の条件を外す方針を決めた。 国は整備内容を見直す必要があるとし、次回入札に向け、補正予算案で物価高騰分として200億円を上乗せしたが、不足の穴を埋めるには届かない。 閉場の長期化は、舞台に携わる人々を苦境に立たせる。 他の劇場を借りる国立劇場主催の歌舞伎公演日数は、5年前から4割以上減った。都内では演者らの会場確保が難しく、技術の保存や継承も危ぶまれる。 舞踊が盛んで、文化庁が移転した京都にも影を落とす。若手にとって「憧れの舞台」の不在は、意欲低下を招いているという。髪を結う床山や和楽器の演奏家、小道具を作る人ら多くの裏方の支えで成り立っており、公演の減少は死活問題だ。 100兆円超の国予算の千分の1に満たない文化行政の軽視こそ見直さなくてはならない。 日本の風土と伝統に根ざし、最高峰の芸を発信する象徴的存在を、国の責任で一刻も早く再整備することを求めたい。