たくさんの「マッサン」がいた ── 「大阪はなぜベンチャー人間の宝庫なのか」
NHKの朝の連続ドラマ「マッサン」。ニッカウヰスキーの創業者竹鶴政孝をモデルに、本格ウイスキーづくりに挑む主人公マッサンの奮戦ぶりが、好感を呼ぶ。ドラマの舞台となっている大阪には、マッサンの他にも、ベンチャー精神あふれる人材がたくさんいた。マッサンはなぜ大阪でがんばることができたのか。大阪がベンチャー人間の宝庫なのは、なぜなのか。大阪で繰り広げられたベンチャードラマを再現しながら、考えてみよう。
松下幸之助創業の地をまちぐるみで顕彰
大阪市福島区大開、子どもたちがボール遊びに興じる大開公園の一隅に、重厚な石碑が建つ。「松下幸之助 創業の地」記念碑だ。パナソニックの創業者で、経営の神様とも称された松下幸之助は1918年3月、ご当地で松下電気器具製作所を創立。幸之助23歳、妻のむめの22歳の春だった。 以来、門真市へ進出する33年までの15年間、大開で4つの拠点を構えながら、戦後の飛躍に向けた基礎を築く。ヒット商品となった2灯用クラスター(ふたまたソケット)は、薄暗かった日本の家屋を明るく照らし出した。 松下は単なる仕事の鬼ではなかった。大開周辺は大正年間に開発された職住一体型の新興のまちで、移り住んできた住民たちによるまちづくりが進んでいた。松下は仕事のかたわら、娘の通う小学校の保護者会の活動に打ち込んだ。地元の商店街店主らと親睦会を結成し、貸家業の共同事業を始めた。自分たちで生活基盤を作ろうという自立互助の精神からだった。 記念碑は2004年、地元有志らの呼びかけに、パナソニックグループが賛同して実現した。松下ゆかりの4つの拠点を、案内板の地図に表示。まちを散策しながら、拠点跡を訪ねることができる。 商店街が松下創業の地を示す看板を掲示。人間松下幸之助が、今なお地元で愛されている証拠だ。若き日の松下夫妻が仕事の疲れをいやした銭湯も残っている。路地を歩いていると、作業服姿の松下が「まいど」と顔を出しそうな錯覚を覚える。