【袴田事件】「妄想の世界から抜け出せていないようだ」「夜中に1時間も風呂に入る」事件発生から50年目、姉が明かした巌さんの近況
支援集会でひで子さんがスピーチ
事件からちょうど58年目の6月30日、「市民の会」による年2回の支援集会がJR清水駅近くの「清水テルサ」で開かれた。巖さんの姿はなかったが、姉のひで子さんが挨拶に立った。 「まあ、58年前は大変でした。巌が取っ捕まって、わたくしの狭い6畳ひと部屋の粗末なアパートにも朝7時ごろかなあ、警察官が4人くらい来ましてね。捜索令状って見せるでしょ。それに『袴田巖、強盗殺人犯』って書いてある。それを見て『これ何だろうなあ』と思って家宅捜索を受けました。押し入れと箪笥、食器棚、冷蔵庫くらいでしたが(警察は)ひっかき回していました。巌が少し前にお味噌を持ってきたんです。こがね味噌の。それを3つか4つ、お勝手(台所)に置いていた。(警察は)持って行くものがないから、それを持って行った」 「私は浜松中央警察署に連れて行かれました。さっぱりわからないから怖いとも何とも思いません。私を取り調べ室の一番奥に入れて出られないように刑事が入り口に立った。(刑事の)質問はもうすっかり忘れておりますの。お昼になりまして、カツ丼取ってくれたんです。私はそれをガツガツ食べちゃったんですよ(笑)。朝ごはんも食べてなかったんで。後から考えれば、食べなきゃよかったとも思ったんですが」
復活したニコニコ
「巖が出てきた時、50年の苦労なんてすっとんじゃってねえ。喜んで喜んで。その前は恐ろしい顔して、集会でもすっと帰ってくる。巖が出てから、やたらにニコニコしてねえ。もともとニコニコする性分で、復帰しました」 「この頃はね、猫ちゃんを飼ってるんです。2匹。保護猫です。(私は)巌とはほとんど話さないけど、『ボタンが取れて困った』と言うからつけてあげたり。私が作ったものも食べるんですが、この頃は毎晩ウナギを食べております。それで『髪が黒くなった』『ウナギ食べてりゃ死にやせん』と言うんです。自分の思うようにさせてやりたい。夜中に1時間も風呂に入ってるので、心配して覗いてみると頭から足の先まで洗っている」 「巌は最近、早く起きて自分の部屋に籠っている。座り込んで考えごとをしてるんです。まだ妄想の世界から抜け出せないみたいです」 「どこの集会でも『巖は無罪だから頑張れた』と言ってるんです。48年、3畳の狭い部屋で運動もできない、何もできないという、苦しい戦いをしていたのは巖なんです。死んじゃったほうがいいと思った時もあったのではないかと思うこの頃、どういう風に拘置所の中で生活していたのかを見て(想像して)おりますの。長年の習慣と言いますか、鼻紙を今もきちっと折っております。10年前と変わりございません(巖さんは出かける時、必ずチリ紙を一枚ずつ丁寧に折ってポケットにしまう)」 「夜中に私を起こすんです。『猫が腹をすかせて困ってるから、餌をあげてくれ』って言うんですよ。揚げ物なんかを『猫の餌だ』と言って毎日買って来るんです。困ってお店と交渉して返品させてもらってます。『それ買っちゃダメ』って言えないんですよ。言っても聞かない」