『言語学バーリ・トゥード Round 2』著者、川添 愛さんインタビュー。「何が起きている? 無意識に話す言葉に」
「何が起きている? 無意識に話す言葉に」
本作は言語学者であり作家の川添愛さんによるエッセイだ。東京大学出版会のPR誌『UP』の連載が人気を呼び、このたびRound2(第2巻)としてまとめられた。 「言語学をテーマにしたエッセイといえば聞こえはカッコいいのですが、日常の言葉を巡るさまざまな気になることを、好きなように書かせていただいてます」 ちなみに〝バーリ・トゥード〟とはポルトガル語で〝何でもあり〟という意味だそう。川添さんによれば、言語学とは普段私たちが話している言葉に無意識に何が起こっているかを見ていく学問であるということだが、なるほど、言語学に照らして考えてみれば、世に流通している言葉は意外な面白みや発見に満ちている。
例えば、川添さんは、あるプロレスラーが発した「いいんだね、やっちゃって」という言葉がとても気になった。 「ふと耳にした倒置法を鑑賞するのが好きで、これが普通の語順だとどうなるのかということを、言語学を研究する人間はついつい考えてしまうのです」 普通の語順であれば「やっちゃっていいんだね」となるが、これだと凄みが半減しないだろうか?
私はパンツを穿いてますよ、でいいのか?
「なぜ倒置法になるのか? 大きく2つ考えられますが、一つは勢い余ってそうなった。もう一つは大切な言葉をもったいぶって後に回した。この時のプロレスラーはどちらかわかりませんが、そうした話者の抜き差しならない感情が語順に滲み出ていて、そうしたことを考えるとまた味わい深い」 中森明菜の往年の名曲「飾りじゃないのよ涙は」も、その論で普通の語順と比較検討してみればインパクトがまるで違う。 言語学的な観点で言えば主語や目的語の省略もとても気になる。例えば、お笑い芸人、とにかく明るい安村さんのあのネタ。 「日本語では主語などを目に見えない〝ゼロ代名詞〟に置き換えることができます。〝穿いてますよ〟をいちいち〝私はパンツを穿いてますよ〟と言っていたら、スピーディさに欠けてしまい、面白みが失われると思いませんか?」 みなまで言わずともわかる、というゼロ代名詞が醸し出す共通認識や共犯関係の気分がとにかく明るい安村さんのネタを一層ジワッと効かせるものにしているーー。 とのように、言語学者は常にアンテナを張り巡らし、一見何でもない、けれども分析のしがいのある言葉を採取しているということだが、そんな川添さんに最近は何か収穫はありましたか?と尋ねると、いっぱいありますよ、と笑いながらスマホのメモを取り出した。 「街で〝歩行者歩行禁止〟という看板に遭遇したのですが、なぜこれは〝歩行禁止〟だけではダメだったのか。〝歩行者〟を付けることで重言のようになってしまっていますが、あえて付けているとしたらそこにどんな意味があったのか?」 無意識に放たれた表現に秘められた意図や心理は実は奥が深い。