SKE48・熊崎晴香が語る中日ドラゴンズ愛と、ファンと歩んだ初センターまでの12年間の道のり
【ファンと共に掴み取った「センター」の立ち位置】 ーー熊崎さんは、何事にも前向きで、応援してくれるファンのために努力を惜しまない姿勢が印象的です。それでも心が折れてしまったり、挫折をした経験はあったのでしょうか。 くじけそうになったことは何度もありました。そのとき、私を支えてくれたのは、ファンの方々の言葉でした。というのも、SKE48加入前はアイドルについての知識がなく、歌って踊れることが楽しいな、くらいに思っていたんです。ですが、実際にグループに入ってみると、「前に行きたい」「センターに立ちたい」という気持ちがどんどん出てきました。 とはいえ、最初はずっといちばん後ろの列で、人数も多いですから、踊っていても誰かしらとかぶってしまう。画面には人と人との間から顔が映るかどうか。それぐらい厳しい位置からのスタートでした。それから2014年の「大組閣」で正規メンバーに昇格することが発表されて、15thシングル『不器用太陽』ではじめて選抜メンバー入り。ようやく光が当たってきたな、と思ったんです。 けれど、そのタイミングで、ステージから落ちて右手を骨折。全治3カ月のケガを負ってしまい、活動休止を余儀なくされてしまったんです。 ーー表舞台での活動が増えていくタイミングでの離脱......ツライですね。 とても悔しかったです。その間に、ほかの昇格したメンバーが新しいチームで絆を深め、どんどん活躍していく。それなのに、私は病院に通っているという、なんとも言えない気持ちでした。復帰して以降も選抜メンバーから落ちてしまったりと、1歩進んだら2歩下がる、みたいな時期が続いたんです。 ずっと目指していたセンターも、後輩メンバーから選ばれ始めました。その瞬間「あ、(センターが)後輩から先輩に戻ることはないんだろうな」と思ってしまって。周りからの「タイミング逃したね」という声もあり、「このままグループに居続けていていいのかな」と考えることもありました。 普段はポジティブで負けず嫌いな私も、マイナスな思考に陥りそうになっていました。そんなとき、ファンの方々が「くまちゃん(熊崎の愛称)が諦めない限り、僕たちはずっと寄り添いながら一緒にセンターを目指すからね」と言ってくれたんです。その言葉のおかげで、折れそうな心を立て直し、ここまで活動を続けることができました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。