”空力の鬼才”の名は伊達じゃない! エイドリアン・ニューウェイが手掛けたF1マシン傑作選
ウイリアムズFW18(1996年)
1994年と1995年、ウイリアムズはベネトン+ミハエル・シューマッハーの前に屈した。しかしシューマッハーは、1996年からフェラーリに移籍。これが、ウイリアムズとデイモン・ヒルにとっては追い風となった。 このFW18はトリック・ディフューザーを持ち、強さを発揮した。 新たにF1デビューを果たした大型新人ジャック・ビルヌーブの活躍もあり、この年のウイリアムズは16戦中12勝を達成。ヒルが史上初の親子チャンピオンに輝いた。 ニューウェイはこの年限りでチームを離れることになるが、翌年用マシンFW19もすでに手がけていたため、ビルヌーブがタイトルを獲得することに成功した。
マクラーレンMP4-20(2005年)
2005年のマクラーレンMP4-20は何のタイトルも獲得しなかったが、他のどのチームよりも多くの勝利を挙げた。シーズン初期にはトラブルが相次いたため、キミ・ライコネンやファン-パブロ・モントーヤから勝利を奪うこととなった。もしこれがなければ、あと数勝加算することができていたかもしれない。結果、シーズン終盤7戦中6勝を挙げたものの、ルノーを駆るフェルナンド・アロンソにチャンピオンを獲られることになった。
レッドブルRB7(2011年)
2010年にダブルタイトルを獲得したレッドブルは、RB7を走らせた翌年はさらに強さを増し、19戦中12勝を挙げてセバスチャン・ベッテルが2年連続のドライバーズタイトルを手にした。また予選でも驚異的な速さを見せ、19戦中18回のポールポジションを獲得。逃したのは、韓国グランプリだけだった。コンストラクターズポイントでも、2位マクラーレンに153ポイントもの大差をつけた。
ウイリアムズFW14B(1992年)
伝説的なテクニカルディレクターであるパトリック・ヘッドと協力することで、ニューウェイの才能は完全に開花したと言っても過言ではないだろう。1991年のFW14は、非常に速かったがその反面トラブルに見舞われることが多かった。このFW14はウイリアムズ初のセミ・オートマチックのパドルシフトを採用したマシンであり、熟成には時間がかかったのだ。 シーズン後半にはこの信頼性が高まり、マクラーレン・ホンダを苦しめる頻度が多くなった。 そして1992年にはFW14にリ・アクティブサスペンションなどを追加したFW14Bが登場。ナイジェル・マンセルのドライビングも相まって、1992年シーズンを席巻した。結局マンセルは9勝、チームメイトのリカルド・パトレーゼは1勝を挙げた。 FW14シリーズは、2シーズン合計で17勝を獲得。史上最強の1台と言われることもある。