村上春樹さんの新作「街とその不確かな壁」、識者はどう読んだか 「対談」独文学者・松永美穂さん×英米文学者・阿部公彦さん
また新型コロナウイルスを受けてのロックダウン(都市封鎖)で、私たちは境界線の存在を意識した。そのことも思い出しました。 ―本書の登場人物や舞台についてどう思いますか。 阿部 名前が付けられている登場人物が少ないですね。第2部に出てくる70代男性の「子易さん」や図書館司書の女性「添田さん」など限られています。場所も福島以外に具体的な地名が出てこない。固有名詞が少ないので、小説全体が寓話(ぐうわ)的な印象です。 男性の子易さんがスカートをはいているとか、少年が耳をかむといった描写から、村上さんのセクシュアリティーやジェンダーの捉え方の変化を感じます。 松永 そうですね。性的同意についても意識しているようです。ただ母親たちの描き方がステレオタイプに感じられ、それが少し気になりました。好きな女性が手の届かない所に行ってしまい、それが物語の起動力になるという書き方もどうなのかな…。 一方で、異世界をつなぐ子易さんの存在は重要です。少年は特別な能力を持っていて「私」の後継者になる。子易さんと「私」と少年を結び付けるのが図書館です。図書館というのは物語や記憶が蓄積され、作家が死んだ後も物語が生き延びる所でもある。
▽「村上さんは日本文学のアンチとして出発」 ―村上さんはいま74歳です。でも作品からは老いを感じません。なぜなのでしょう。 阿部 若い頃の村上さんは断片的なエピソードをつなぐ書き方で、中期以降は水も漏らさぬ緻密な文章になり、ひねりやキレも加わりました。語り方というか、作中の声が強めに聞こえる作家だと思います。老いた声というのはもっと枯れて薄いものなのですが、それとはかけ離れています。 松永 大江健三郎さんは意識して語り方を変えていった作家でした。2013年出版の「晩年様式集(イン・レイト・スタイル)」には、デモに出かけて疲れてしまう老人が出てきます。 阿部 大江さんも欧米文学の影響を受けていますが、彼をつなぎとめる故郷、確かな足場というのがあった。村上さんにはそれがなく、根無し草的です。でも西洋文学を輸入して成り立った日本の小説は、本質的に根無し草ともいえますよね。 ―日本文学の中心にいた大江さんが亡くなり、今後の日本文学はどこへ向かうのでしょうか。村上さんの立ち位置は?