村上春樹さんの新作「街とその不確かな壁」、識者はどう読んだか 「対談」独文学者・松永美穂さん×英米文学者・阿部公彦さん
人気作家、村上春樹さん(74)の6年ぶりとなる新作長編小説「街とその不確かな壁」が4月13日に発売された。発売日には書店でカウントダウンイベントが行われるなど話題を集め、出版取次大手の日本出版販売とトーハンが発表した2023年上半期のベストセラーランキングでいずれも1位に輝いた。本書は1985年の長編「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」と同様、80年に文芸誌に発表した中編が下敷きになっている。ドイツ文学者の松永美穂さん(64)と英米文学者の阿部公彦さん(56)が、新作について率直に語り合った。(司会・聞き手は田村文・共同通信編集委員) ▽「最近の村上作品には違和感を覚えることが多かったが…」 ―「街とその不確かな壁」は村上春樹さんの6年ぶりの長編小説です。3部構成で、第1部は17歳の「ぼく」と、「ぼく」が年を重ねた「私」の話が交互に語られます。「ぼく」が恋をしている16歳の「きみ」は、「本当のわたし」が生きているのは高い壁に囲まれた街なのだと語った後で姿を消す。一方、中年になった「私」は「きみ」が語っていた街に入り込んでいます。街の時計には針がなく、人々は影を持たない。壁の内側にとどまるべきか、外に出るべきか。決断の時が来る。第2部は舞台を福島県に移します。70代の子易(こやす)さんの後を継ぎ、図書館長になった40代の「私」は図書館に毎日のように来る少年と出会う―。ではまず、新作を読んでの印象を教えてください。
松永美穂 私は村上さんの最近の作品には違和感を覚えることが多かったのですが、本書には好感を持ちました。セックスや暴力は姿を見せずに内面に向かう話で、出てくる他者は限定的ですが、登場人物が絞られているからこそ関係性がよく見えます。丁寧に作り込まれていて、集大成的な作品になっていると思いました。 阿部公彦 第1部に80年の中編が原形をとどめる形で残っていることもあり、昔の自分をどう受け止めるかということ自体が作品になっていると感じました。第1部は初期の村上作品の叙情的な感じがあり、第2部はそれを受け止めて展開し、第3部で融和する。昔の自分と今の自分が拮抗(きっこう)するのが興味深い。 松永 「世界の終り―」は一番好きな作品だったので、本書を読み始めたときは既視感があり、戸惑いました。でも読み進めていくと、主人公が自分の影と分かれる分裂の仕方が成熟した書き方になっているのをはじめ、どんどん印象が変わっていく。若いころとは違う場所に行こうとしたのでしょうね。