なぜ私たちは「暑さ」を感じるのか…和辻哲郎が生み出した「風土論」の「核心」
「寒さ」とは何か
「日常直接の事実」としての風土とはいったい何であろうか。それを和辻は「寒さ」を例にとって説明している。彼が問題にしようとしたのは、ある一定の温度の(たとえば零下五度なら零下五度の)空気の存在、つまり、客観的な存在としての「寒気」ではない。私たちが実際の生活のなかで感じる「寒さ」である。 和辻が客観的な存在としての「寒気」ではなく、私たちの生のなかにある「寒さ」を問題にするのは、私たちが元来「志向的」な存在であるからである。私たちの意識のはたらきは、はじめから何かに向けられている、つまり何かについての意識である。それは外部とは関わりをもたない一つの「点」としてあるのではない。 私たちは孤立した「点」として、その外にあるもう一つの「点」(たとえば「寒気」)に向かって進んでいき、そこにある一つの関係を作り上げるのではない。私たちは最初から「……を感じる」(たとえば「この冬の寒さは体にこたえる」)といった仕方で、一つの関係のなかにある。私たちは最初からこのような「志向的関係」のなかにあり、このような「関係的構造」が私たちの存在を成り立たしめているのである。 和辻が問題にしようとしたのは、このような「志向的」あるいは「関係的構造」のなかで出会われる自然であったと言うことができる。それが和辻の言う「風土」にほかならない。そしてそのような意味での「風土」こそ、私たちの生の基盤であると言うことができる。そのように、客観的な存在としての気候や地形ではなく、私たちの生の「具体的地盤」としての風土に注目することによって、和辻は新たな仕方で自然を見る眼をもったと言ってよいであろう。 さらに連載記事〈日本でもっとも有名な哲学者はどんな答えに辿りついたのか…私たちの価値観を揺るがす「圧巻の視点」〉では、日本哲学のことをより深く知るための重要ポイントを紹介しています。
藤田 正勝