なぜ私たちは「暑さ」を感じるのか…和辻哲郎が生み出した「風土論」の「核心」
明治維新以降、日本の哲学者たちは悩み続けてきた。「言葉」や「身体」、「自然」、「社会・国家」とは何かを考え続けてきた。そんな先人たちの知的格闘の延長線上に、今日の私たちは立っている。『日本哲学入門』では、日本人が何を考えてきたのか、その本質を紹介している。 【画像】日本でもっとも有名な哲学者がたどり着いた「圧巻の視点」 ※本記事は藤田正勝『日本哲学入門』から抜粋、編集したものです。
和辻哲郎の「風土論」
近代になってとくに自然について論じた人に和辻哲郎がいる。和辻は『人間の学としての倫理学』(一九三四年)や『倫理学』(上・中・下、一九三七―一九四九年)などを通して日本の倫理学研究に大きな足跡を残した思想家である。 和辻の思索の歩みは三つに区分することができる。大学卒業後、西洋の哲学を中心に研究した時期が第一期であり、日本の文化や美術を中心に研究した時期が第二期である。その間に法政大学から京都大学に移り、さらに一九三四年に東京大学に籍を移した。ちょうどその年に『人間の学としての倫理学』が発表されたが、それ以後の時期、つまり独自の倫理学を構想し、それを体系化することを試みた時期が第三期である。 ここでは東京大学に移った翌年に出版された『風土──人間学的考察』(一九三五年)を取りあげることにしたい。この書は第三期に属するが、一九二七年から翌年にかけてのドイツ留学の言わば副産物として成立したものであり、第二期と第三期をつなぐような性格をもっていたと言ってよいであろう。 そこではモンスーン地帯や沙漠、さらにヨーロッパの気候や景観などが問題にされている。しかし和辻はそれらを「自然」とは呼ばずに「風土」と呼んだ。なぜなのであろうか。この点を明らかにしておくことがこの書を理解する鍵になる。 この著作には「人間学的考察」という副題が付されている。しかし、なぜ「風土」が「人間学的考察」の対象になるのかということは、必ずしも自明なことではない。 その点を考えるために、まず和辻がこの『風土』という著作で「風土」をどのように定義しているかを見てみたい。「第一章 風土の基礎理論」の冒頭で和辻は、「ここに風土と呼ぶのはある土地の気候、気象、地質、地味、地形、景観などの総称である」と記している。気候、地質、地形等のことばがここで用いられている。一般に「自然」ということばで表現されるものである。しかし和辻はそれらを「自然」とは呼ばずに「風土」と呼んでいる。それは、彼が問題にしたものが人間と関わりのない客観的な存在としての気候や地形、つまり、単なる自然環境としての気候や地形ではなかったからである。また、彼が『風土』のなかで問題にしたのは、いま言った意味での自然がいかに人間の生活を規定しているか、あるいは規定してきたか、でもなかった。彼が問題にしたのは──『風土』のなかの表現を使えば──「日常直接の事実としての風土」(八・七)であった。