「リトゥンアフターワーズ」山縣良和の個展がアーツ前橋で開催 装いを通じた社会との対話
11年の東日本大震災をきっかけにその再生を祈り制作した「七服神」も、そして虐げられた存在を象徴する魔女も、また人間の階層意識が憑依した妖怪も、さらには打ち捨てられた着物の山もショーではモデルが着用して歩いたもの。展示ではマネキンが着用することで“ルック”として成立しており、ともすれば目を背けたくなる社会の“暗い”部分も観る者の心にスッと届く。
第2章 集団と流行(はやり) 第2章「集団と流行(はやり)」は常に山縣のインスピレーションとなってきたフリーマーケットのイメージから始まり、移民問題と向き合い制作した19年の“フローティング・ノマド”、スキャンダルを起こした著名人を集団でヒステリックに叩く“記者会見”などへ続く。「そこの土地での人の営みから生まれた物の集積や集合体ってそれこそ流行(ファッション)の発生源でもあり、終着点でもある」という視点を反映している。
その中の一つは、長崎の爆心地で黙祷する学生服の青年たちと千羽鶴を題材にしたルックだ。父方のルーツが長崎にある山縣は幼少期から平和や戦争が常に頭のどこかにあるという。「日本は戦争であんな酷いことになったのに、日本に限らず今世界中の国々でプロパガンダはまだ続いている。だから流行のポジティブな側面だけを見るんじゃなくて、デザイナーは常にネガポジのバランスに注視してゆく必要があると思う」。
第3章 孤独のトポス 「第3章 孤独のトポス」はここ数年、山縣が制作拠点の一つとしている長崎県・五島列島の島々での活動がベースになっている。「離島の小集落は近代化しなかったからこそ日本の過去から現代に脈々とつながる深い精神性やものづくりが残されていると感じる。日本の近代化ってほとんど西洋化だったわけで、ファッションもそうだし、むやみやたらと西洋化の波にも呑まれてゆく過程で、失っちゃいけないものも消えていったんじゃないか」と思いを馳せる。
軽トラックの荷台から連なるように並べたたぬきの剥製は里山の象徴なのだろうか。剥製ゆえ一瞬ゾッとするが、スケートボードに乗せて愛嬌も振りまく。たぬきたちが抱えているのは「ぐんまシルク」を使った桐生の最上級の絹織物の反物だ。その華やかな生地を提供した龍匠錦の織り手、小林靖子さんは展示を見ながら家業を「自分の代で辞める」と教えてくれた。無念であろうが多くは語らない、そして展示を見るだけでは伝統技法の消失は止まらない。それだけに「辞める」の一言が重く、心にその無念さが根を張るような感覚を覚える。