<羽生結弦が能登半島地震被災地に届けたいこと>被災者に寄り添う「行動力」と「継続力」の凄さ
プロフィギュアスケーターの羽生結弦さんが座長を務めるアイスショー「羽生結弦 note stellate」が3年続けて開催されることが決まった。3月7~9日に出身地・宮城のセキスイハイムスーパーアリーナで、東日本大震災から14年を迎える時期に合わせた公演となる。 【写真】羽生結弦さんのチャリティー演技会の反響は予想以上に大きかった 単独公演によるアイスストーリー第3弾「Yuzuru Hanyu ICE STORY 3rd―Echoes of Life―TOUR」が1月3、5日に広島公演(広島グリーンアリーナ)、2月7、9日に千葉公演(ららアリーナ東京ベイ)と年始から精力的な活動がスタートする中、被災地への思いは不変の強さを持つ。 プロ3年目の24年は、3月の「notte stellata」に加えて、9月15日に能登半島地震の復興チェリティー演技会を現地からの配信で届けた。羽生さんと震災を結びつけるワードは「行動力」と「継続力」にある。
こだわった石川県での演技
「あの日、地元の人たちは、テレビなどで羽生さんたちの演技をみて、すごく励まされたと聞いています。実は、羽生さんたちのサインをいただいたものをパネルにして、券売機の上に飾らせていただいております。 利用者の方が『あっ、羽生さんがいらしていたんだ』と、スマホで写真を撮って、とても喜んでおられますよ。県外のファンの方からも『写真はありますか、サインはありますか』と連絡をいただくことがあり、パネルをご案内しています」 能登半島地震は25年の元日で発生から1年を迎えた。年の瀬に電話でお話を伺ったのは、昨年9月15日に開催された「能登半島復興支援チャリティー演技会」の会場となった石川県金沢市の健民スポレクプラザの山海良正館長だ。山海館長は反響の大きさに驚いていた。 羽生さんは演技会の後の囲み取材で、収益をできるだけ多く寄付に回したいので経費を抑えるために、照明などの設備は最低限に抑えたという話をしていた。実際はそれだけではなかった。山海館長の話では、リンク上はトップスケーターが滑れるような状況ではなかったという。 「9月はまだ暑い時期で、外部と室内の温度差で天井にできた結露がリンクに落ちて、いくつもの小さなこぶ状の塊になって凍ってしまいました。可能な範囲で整氷し、除湿も行いましたが、限界がありました。申し訳ない気持ちでしたが、羽生さんたちスケーターは、そんな中で文句を言うことなく素晴らしい演技を披露してくれました。 帰り際には『通常なら氷を張っていない時期にありがとうございました!』とお礼の言葉まで言ってもらいました。羽生さんはご自身も東日本大震災で被災されたこともあり、被災地に対する思いを強く持っていらっしゃると聞いていましたが、本当に感謝しています」 チャリティー演技会は、羽生さんの「行動力」が全ての起点だった。 「能登で被災した人たちのために何かできないか」 1月の地震を受け、羽生さんは被災地に寄り添う気持ちを行動に移し、昨年6月には日本テレビの情報番組『news every.』の取材で、被災した輪島市も訪れている。実際に現地へ足を運び、被災者の声に耳を傾けた。